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コンセプトノート

779. 可能性、可欲性、可望性

「自分」が息苦しいのは、誠実であろうとしすぎるから

可欲性。あるインタビュー記事で目に飛び込んできた言葉です。

この記事が載っていたDiamondハーバード・ビジネス・レビュー2019年5月号の特集は「セルフ・コンパッション」。自分に対して慈悲の心を向けること。表紙には「マインドフルネスとともに注目される」と添え書きがあります。

なぜ、ビジネスの世界でこういった心の整え方・自分のあり方が注目されるようになったのか。なぜ、心を整える手法として初期仏教や禅といった東洋の思想が注目されるのか。編集部は東洋文化に詳しい哲学者である中島隆博教授(東京大学)にインタビューを行い、「あなたを苦しめる『わたし』の正体」という記事にまとめています。(1)

中島氏は内面に向かう宗教であるプロテスタンティズムの影響の高まりから説き起こしていきます。ほかの誰でもない「このわたし」が神と直接向き合って信仰を証明するというのは大変な負担である。真面目に清廉潔白であろうとすると『真面目さというある種のイデオロギーに落ち込んでしまう』。それはシンシアリティ(誠実さ・真摯さ)という近代的な自己にとって重要な価値を過剰に信奉してしまう『シンシアリティ至上主義』とも呼ぶべきものだ。大まかに要約するとそのように語っておられます。

わたしを含めて日本人の多くはプロテスタントではありませんし、そもそも無宗教という人が多いと思います。それでも日本のビジネス界に強い影響を与える経営学者や実業家の思想や行動が上述のような原理に基づいているならば、陰に陽にその影響を受けるわけです。それに関連して、氏はもう一つ「宗教性」という面白い話題を提供されていました。

寺社仏閣に何らかの神秘性を感じて、それを大切にしなければならないという感覚は、宗教性に対する感受性から来るのではないでしょうか。仏教を信じない、キリスト教を信じないという人でも、ある種の宗教性への感受性を持っている場合はあると思います。

もし全てのモノを持ち、全てのコトができるようになったら

では、これからどうなるか。あるいはどうすればよいか。消費はモノからコトへと移ると言われるが、「このわたし」に対する過剰なまでの価値意識は、「コトの資本主義」に組み込まれてきた。独特な経験や個性などユニークな個人であることが価値とみなされ、消費されてきた。しかし資本主義も変化を続けていくだろう。

そういった助走をへて、氏は『「コトの資本主義」の次には「人の資本主義」が訪れると、仮設的に考えてみたらどうかと思っています』と述べています。少し長くなってしまいますが、そこから可欲性という概念が導入されるあたりを引用します。

「人の資本主義」で考えようとしているのは、こうした人間の再定義の問題です。端的に言ってしまうと、可能性の次元ではなく、可欲性の次元で、人間と資本主義を考え直そうということです。
 可能性の次元というのは、計算可能な次元ということです。モノにせよコトにせよ偶発性に乏しく、計算可能な次元で展開していきます。ここでは、人間も計算可能な「価値」として測られます。
 それに対して、私たちには可欲性という次元もあります。可欲性とは耳慣れない言葉でしょうが、何を欲するのか、何を望むのかが問われる次元です。
 資本主義は人間の欲望をかき立てます。私たちはしばしば、他人の欲望を欲することでモノやコトを消費しますが、本当は何を欲しているのでしょうか。何を望んでいるのでしょうか。衣食住さらには個性まで、すべてが満ち足りた状態を想像してみましょう。あなたは何を欲するのか。この問いに戸惑ってしまう人も多いのではありませんか。

「可欲性」は氏の造語だと思うのですが、「可能性」では測れない何かを説明する概念として優れていると感じました。そこで、ここからは記事から少し離れて、「可欲性」という言葉自体について考えてみます。

可望性を語れるというスキル

最初に用語の調整を。可欲というと色欲を愛することを意味しますし、これから展開したい話の筋からしても「欲する」より「望む」がふさわしいので、可欲性を可望性という造語に置き換えます。

たとえば、ここにある仕事があるとします。この仕事の可能性とは、それを完遂できうるか、完遂したとしてどんな発展がありうるか、についての見込みです。

一方、この仕事の可望性とは何か。可能性と同じように考えれば、この仕事を望みうるかについての見込みです。可望性が高い仕事とは、自分ないし関係者が「ぜひ取り組んでみたい!」と思える仕事です。

プロジェクトには、可能性と可望性がともに必要です。可能性は「できる!」を、可望性は「やりたい!」をかき立てます。

ここまできて、本業の一つであるリーダーの成長支援事業でしばしば引用する、「リーダーのストーリーに含まれるべき3つの視点」 (*ListFreak) を思い出しました。本ノートで扱っている言葉をラベル付けして引用します。

1. 【現状認識】 われわれは今どこにいるか。

2. 【可望性】 われわれはどこに向かっているのか。

3. 【可能性】 どうすればわれわれは到達点にたどりつけるのか。

現状を認識すること。可望性の高い(、つまりメンバーにとって魅力的な)ビジョンを語ること。そのビジョンに到達する可能性の高い道筋を示すこと。これはリーダーの仕事そのものです。

コンピュータや機械の支援によって人類の問題解決力は高まってきたと言われます。ひとたび問題が明確になれば、解決のための方法論やツールを編み出すことができます。ひとたび「どこに向かっているのか」が明確になれば、「どうやって到達点にたどりつくか」はなんとかなる状況が多くなってきていると言えるでしょう。もしそうならば、リーダーの仕事のなかで「可望性を語る」ことの比重はより高まっていくはずです。

インタビュー記事に戻ります。「人の資本主義」時代において、労働や貨幣の代わりに富の象徴となり得るものは何か。そもそも「人の資本主義」も氏が仮設した概念で、自身『明確なイメージが十分にあるわけではない』と認めつつ、氏は他者との共同経験(の豊かさ)にその可能性を見出しています。

個人としてどれだけ貨幣を蓄えるか、どれだけユニークな存在かということではなく、どれだけ共同体の中で豊かな経験をするか。もしそうした活動がこれから重みを増すとしたら、可望性(可欲性)を探して語ることは誰にとっても重要になるでしょう。リーダーのビジョンが組織の一体感を高めるように、共同体を共同体たらしめるのは、多くの場合共有する可望性でしょうから。


(1) 中島隆博. 「インタビュー 理想の自分に囚われていないか あなたを苦しめる『わたし』の正体 (特集 セルフ・コンパッション)」. Harvard business review = Diamondハーバード・ビジネス・レビュー, vol. 44, no. 5, ダイヤモンド社, 2019年, pp. 74–85.

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