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コンセプトノート

778. 確かさに安住せず、不確かさに絶望しない

確実な準備の副作用/不確実性への対処に作用する3つの要素/「あいまい耐性」「締め切り耐性」を高めるワクチンとしての「責任」

確実な準備の副作用

経済学が専門のトーマス・ゼット・リース教授と心理学を専攻してきたマーガレット・アン・ニール教授の共著『スタンフォード&ノースウエスタン大学教授の交渉戦略教室』(2017年、講談社)を読みました。利害の異なる当事者がそれぞれに経済合理的な側面と主観的な側面の両方で満足度を高めるべく話し合うのが交渉ですから、経済学者と心理学者が共同で研究するに値するテーマです。

交渉は準備が重要です。特に相手の分析は欠かせません。たとえば相手の関心の所在は「何を」交渉材料にするか、相手の性格は「どう」交渉するかを考える手がかりになります。著者らも『優れたネゴシエーターの特徴は、「交渉の前」に質の高い準備を行っているということ』と述べ、交渉の計画に一章を割いています。

しかしその中で、「準備の逆説」とでも呼ぶべき実験結果が紹介されていました。交渉相手の情報を得ていた被験者グループが対照グループよりも小さなメリットしか得られなかったというのです。

何が起きていたのか。被験者グループに知らされたのは、相手が自己中心的だという情報でした。これに基づいて準備をした被験者は価値創造(パイを大きくする)よりも価値分配(パイを分ける)に重きをおいた戦略を立てました。事前の情報がない対照グループは素直に価値創造を重視した戦略を立て、その違いが結果に表れたというわけです。

相手についての情報が思い込みとなり、それが不安を助長し、よりよい成果を得る可能性を閉ざしてしまった。ならば情報がないほうがよいのかというとそうではありません。情報がない、つまり不確実性が高い状況も不安を大きくし、起きた変化に対して『慣れた方法に立ち戻ったり、支配的な態度をとったりする』ことがわかっているそうです。

状況の不確実性が低いと認識すれば「考えるまでもない」と思考停止に、不確実性が高いと認識すれば「考えてもしょうがない」と思考放棄に、陥ってしまう。これは交渉に限らず一般的な意思決定の局面でも同じことが言えるでしょう。

不確実性への対処に作用する3つの要素

では「ちょうどいい具合の不確実性」に身を置くにはどうすればよいのか。著者らは、不確実性に対処するには精神的なエネルギーが必要とし、それに影響を与える3つの要素を挙げています。

  1. 完結欲求 —— 曖昧さへの耐性、決断できない状況にどの程度耐えられるか
  2. 時間の圧カ —— 締め切り、時間的な制約からどの程度影響を受けるか
  3. 正確さへの動機付け —— 自分の意思決定を第三者に対して、正当化する必要があるか否か

「完結欲求」は「決めてしまい、それ以上考えたくない」という欲求ですから、不確実性を下げる方向(「わかったことにしよう」)にも上げる方向(「わからなかったことにしよう」)にもはたらくと思います。ちなみに、意志決定にあいまい耐性が重要というトピックは本ノートで形を変えて何回も登場しています。たとえば、完結欲求に抗う能力である「ネガティブ・ケイパビリティ」など。

「時間の圧力」が交渉に及ぼす影響を調べた論文では、物理的な時間というよりは当事者の「認識」が重要で、時間がないという圧力を感じた被験者は経験則に頼る傾向が高まったとのこと。引用元の論文では『交渉では時間をかけると「時間稼ぎ戦術か」とネガティブに捉えられたり弱気に思われたりするが、時間をかけることは双方にメリットがある』と結論づけています。

「完結欲求」も「時間の圧力」も人に備わったバイアスのようなもので、トレーニングによって克服できるとは思うのですが、なかなかこれといった解決策がありません。それらに比べると「正確さへの動機付け」は少し違った要素で、「完結欲求」や「時間の圧力」に耐えて不確実性と向き合い続ける力を与えてくれるように感じました。その「正確さへの動機付け」とは何か。

「あいまい耐性」「締め切り耐性」を高めるワクチンとしての「責任」

著者らが「正確さへの動機付け」を解説している箇所から引用します。

一般的に、高いレベルでの正確さへの動機付けは、第三者に対する結果責任があるときに起きやすく、慎重かつシステマチックな情報処理をする要因となります。
 交渉においては、第三者に評価をされる立場にある人の方が、誰からも評価されない人と比べて、固定されたパイのバイアスに陥ることが少なく、双方にとっての価値のある合意を達成しました。  

『スタンフォード&ノースウエスタン大学教授の交渉戦略教室』

自分の選択を他人に説明しようと考えるだけでも、思考プロセスの言語化を通じてバイアスに抗う効果があるでしょう。加えてその選択の結果を第三者が評価するとなれば、なおさら慎重になります。

架空の第三者を置いた自問自答もよいでしょう。意思決定に敷衍すれば、次のような自問です。

自分のこの決定を、完全な合理主義者はどう評価するか。尊敬する人は、尊敬を失いたくない人は、世間の人々は、そして後世の人々は、どうか。

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