789. 高潔は低劣に勝てるのか

「低劣」対「高潔」

2016年7月、米国大統領選に向けて開催された民主党大会で、現職の大統領夫人であるミシェル・オバマ氏は政権のバトンを同党に引き継ぐべく応援演説に立ち、次のようなスピーチをしました。

誰かが粗野だったりいじめっ子のようにふるまったりしているとき、私たちは同じレベルには堕ちません。モットーは「彼らが低く行くなら、我々は高く行く」です。

How we explain that when someone is cruel or acts like a bully, you don’t stoop to their level. No, our motto is, when they go low, we go high.

Transcript: Read Michelle Obama’s full speech from the 2016 DNC” – The Washington Post

“go low” は対立候補の「低劣」なやりくち、”go high” はそれと対峙するための「高潔」なアプローチを象徴する言葉です。

しかし大統領に選ばれたのは、粗野ないじめっ子のような人物で、そのふるまいは大統領になってからも変わりません。

そして2020年8月。現職大統領の再選を阻止すべく、ふたたび応援演説を引き受けたミシェル氏のスピーチには、こんな言葉がありました。

この4年間に、多くの人から尋ねられました。「相手がここまで “低く行って” いるときに、 “高く行く” やりかたでほんとうにうまくいくのか?」と。

Over the past four years, a lot of people have asked me, “When others are going so low, does going high still really work?”

Full Transcript of Michelle Obama’s D.N.C. Speech” – The New York Times

ここからは想像です。一緒にスピーチを組み立てていた側近がいたとしたら、こう意見したかもしれません。

『“高く行く” 話は省略しましょう。4年前に失敗したモットーを持ち出しても自分を縛るばかりです。相手は、郵便ポストの撤去や投票所の閉鎖を画策するなど、勝利のために手段を選ばぬ構えです。選挙に勝たなければ意味がありません。』

4年前の言葉にこだわるべきか、選挙の勝利にこだわるべきか……。

「低く」来る相手にどう立ち向かうか

ビジネスの文脈でも「低く行く」戦略で向かってこられた側が戦いあぐねるシーンがしばしばあります。『イノベーションのジレンマ』に詳述されているとおり、成熟業界に切り込んでくる新参者は、しばしば機能を割り切るかわりに低価格・省時間といった価値をもちこんできます。百円ショップしかり、千円カットしかり、激安○○しかり。それは既存のプレイヤーからすると「低く行く」やりかたに思えるでしょう。

理髪業界で千円カットチェーンが登場したくらいのとき、出先で従来型の理髪店に寄って散髪したことがあります。「10分千円」に対して、その理髪師さんはネガティブでした。常連さんもなし、会話もなし、洗髪もひげそりもなし、これでは床屋になろうという人がいなくなる。工場じゃあるまいし、お客さんだってそんなのは望んでないだろう ……。

理髪師さんの気持ちもわかります。洗髪、ひげそり、マッサージ、雑談、もはや総合芸術と自負できるくらいの腕を磨いて、付加価値を付けて、(たとえば)40分4千円の価格を維持してきたのに、それらをすべてそぎ落として10分千円とは。

とはいえ数年後には、“低く行く” チェーンが予想外の支持を得て、売上の落ち込みに直面したと思います。高級路線を堅持すべきか、スタッフを増やして低価格短時間ニーズに対応すべきか、経営者として難しいかじ取りを迫られたと思います。

(誤解のないように書いておくと、トランプ大統領がイノベーターだとか、低劣だが他の価値があると言いたいわけではありません。そういった人物評価とは別に、ミシェル氏のスピーチを読んで、自分たちより「低く行く」アプローチの相手にどう立ち向かうか悩むシーンを連想した、という意味合いでこのノートを書いています)

ビジネスでは基本的に買い手も売り手もお互いに相手を選べ、いつでも代えられます。いっぽう政治では、全国民が1人の大統領を選び、しかも数年おきにしか代えられません。それゆえにミシェル氏は真剣で、
「相手がここまで “低く行って” いるときに、 “高く行く” やりかたでほんとうにうまくいくのか?」という支持者からの質問にどう答えるのかに興味がありました。

目的が手段を選ぶ

ミシェル氏はこう述べています。

私の答えはこうです。“高く行く” のみが機能する道です。なぜなら、私たちが低く行けば(略)私たち自身を堕落させるからです。私たちが掲げて戦っている、まさにその理想を汚してしまいます。

My answer: going high is the only thing that works, because when we go low, (snip) We degrade ourselves. We degrade the very causes for which we fight.

Full Transcript of Michelle Obama’s D.N.C. Speech” – The New York Times (太字は引用者による)

選挙を選挙人を相手より多く獲得するゲームだとみなすと、戦い方を自ら縛るのは得策ではありません。当然ミシェル氏はそれを承知でしょう。それでもなお “高く行く” のはなぜか。

ここでまた想像してみます。4年前の言葉にわざわざ言及するのは得策でないという側近に、ミシェル氏はこう答えたのではないでしょうか。

『もちろん、勝利しなければなりません。同時にその勝利は、自分が訴えた価値観に対する共感の結果としてもたらさなければならないのです。低く行く可能性を示唆するのは、私たちが戦っている理由そのものを貶めることになります。だから敢えて “高く行く” 話を入れたいのです』

上記会話は想像ですが、最後の部分、低く行くのは戦いの理由そのものを貶めるという言葉は本人のスピーチからの引用です。

この覚悟。『クリエイティブ・チョイス』に書いたことですが、「何のためにやるか」が「何をどうやるか」を決めます。ビジネスも利益を競うゲームとみなせば、儲かるなら(法に触れないかぎり)なんでもありでいくべきでしょう。いっぽうで、ビジネスは顧客に価値を届けるゲームで、その成績を測るのが利益だとみなせば、おのずと手段は絞られます。

どの道を行くのであれ(※)、もし組織のリーダーが特定の戦略を取るにあたって、このように根源的な理由から述べてくれ、それに正当性を感じることができたら、メンバーはさぞ勇気づけられることだろうと思います。

(※)「高」対「低」という切り口で考えると「高」が貴くて価値があるように感じますが、つねに「高く行く」べきだと言いたいわけではありません。先述のように、イノベーターは既存のプレイヤーから「安かろう悪かろう」の業者とみられたりしますが、それは既存のプレイヤーから見た景色にすぎません。新規参入者からすれば、必要十分な機能を手ごろな価格で届けることのほうが高い価値をもたらす、つまり「高く行く」道かもしれません。