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コンセプトノート

768. 経験という真珠を磨く

人生は“瞬間の真珠のつらなり”

定期的に新着本のリストを眺めて読む本を決めています。半年ほど前に、デイヴィッド・コルブ著『最強の経験学習』という情報を見つけて、ちょっとびっくりしてしまいました。

氏こそが経験学習モデルの提唱者なので、経験学習の本を出すのは当然です。ただわたしの脳内では「コルブの経験学習モデル」が「ソクラテスの産婆術」のごとく概念化されてしまっていて、大変失礼ながら、本人が存命であるかどうかを気に掛けていませんでした。

それはそれとして。

本書の冒頭で、人生は真珠の連なりだとする美しい比喩が使われています。

人の人生の物語は、経験という真珠を記憶という糸でつないだ首飾りのようなものである。首飾りに使うために真珠を磨くように、後の選択に活かすために経験を検討し、思考し、意味を汲み取る。一つひとつの真珠を糸でつなぎ止めて一つの首飾りを作るように、次の行動を起こして新たな経験を連ねていく。だから、自分がどんな人間なのかは、それまでの経験から何を学んできたかによってほぼ決まる。意訳含みで紹介すると、そういったことが語られていました。

学習サイクルを実践する

コルブの経験学習モデルの核心は、「具体的な経験、内省的検討、抽象的思考、積極的な行動」の4ステップからなる学習サイクルです。特にリーダーシップなど、経験則的に経験からの学びが重視されている分野では、トレーニングもこの学習サイクルをまわすべく設計されていることが多いと思います。

一通り理解し実践もできているつもりでしたが、本書でハッとさせられた箇所がありました。「学習サイクルを活用する練習」という、数分間で学習サイクルを実践するやり方を紹介した節です。1サイクルぶんをかいつまんで紹介すると、次のようなやり方でした。

  1. いま頭の中にある思考に気づき、それらを数分間脇に置くことで、頭の中にスペースを確保する。
  2. 【経験】 そのスペースに「経験」を呼び込む。表れた身体感覚や感情に意識を集中する。言葉で表現しない。
  3. 【検討】 経験から意識を切り離し、傍観者のように自分の経験を観察したり、耳を傾けたりする。まだ言葉で表現しない。
  4. 【思考】 経験の意味を理解する。さまざまな視点から、その経験を表す概念や言葉やアイデアを見つける。
  5. 【行動】 ここまでのステップを踏まえ、行動を起こす。小さなことでかまわない。

ハッとさせられた点の一つめは、【経験】ステップで情動を再現させているところです。これは情動と意思決定のつながりを学んできた結果と符合するものでした。

「経験」というとき、われわれは「○○をしたことがある」のように表現しますが、これは経験の半分を表現しているに過ぎません。経験は、ある状況で特定の言動を取ったという事実と、それに伴って自分にもたらされた情動がセットになったものです。その状況と情動が記憶に残り、似た状況が出来すると記憶されていた情動が呼び起こされるというのが、わたしの理解です。

経験をそのように理解しつつ、経験学習のモデルを使ってトレーニングをデザインする段になると、単にやったことを言語化してもらっていました。しかしコルブは【経験】ステップで『体や心になんらかの感覚や気持ちが表れてきたら、そこに意識を集中しましょう。言葉で表現したくなるかもしれませんが、ぐっとこらえてください』と書いています。これは情動の再現にほかなりません。

二つめにハッとさせられたのは、【検討】にいたってもなお言語化しないという点です。4ステップのうち半分は言葉を使わないのです。4ステップめの【行動】は文字通り言葉というより行動なので、4分の3は言葉を使わないといってもいいかもしれません。

【検討】(【内省】【省察】と訳されることもあります)の段階では、コルブは『まだ経験を言葉で表現してはいけません』とまで書いています。そして『この段階での目的は、感情や感覚を味わい、できるだけそれを鮮明に再現してみることにあります。』と続けています。【経験】では当事者として情動を自らの身のうちに再現し、【検討】では傍観者としてそれを客観的に観察するということでしょう。

経験という真珠を磨く

わたしの仕事でいえばファシリテーターを務めるセッションや講義などのイベントが経験の単位としてわかりやすいので、振り返りのメモを書いて次の機会に備えています。

しかし、メモを書くのは【思考】(と【行動】の冒頭)にすぎません。これまでなんとなく、実際に行動した事実をもって【経験】ステップを踏んだことにしてきましたが、実際に何かを経験しながらリアルタイムで【検討】することはできないとすると、経験学習でいう【経験】とは、あとから当時の情動を蘇らせる作業になります。

そこで、さっそく試してみました。ちょうど昨日ファシリテーターを務める機会があり、失言したかなと感じたシーンがあったので、それを材料にしてみます。

慣れていないせいもありますし、積極的に思い出したい内容でもないので、早々に言葉による落ちをつけたくなりました。「要するに準備不足が原因だった。次からはこのシーンで使う語彙を準備しておこう」といった具合です。

ただ、もうすこし留まってみると、状況がすこしずつ思い出されてきました。そもそも失言と感じたきっかけが後ろにいた見学者の存在だったこと、その場で補足すればよいものをしなかったので、しばらく気にしながら話し続けたことなどが、ちょっと「イヤな感じ」とともに思い出されます。

経験を味わう

この、言語化せずに情動を蘇らせて観察する作業を、本書では「味わう」と表現しています。たとえば【経験】ステップの解説には『感覚、感情そのものをできるだけ新鮮な状態で味わってください。』と書かれています。この時間が短かったなと感じました。

たしかに、何かを食べるときに言葉を使って味わうわけではありません。まず味わって、つまり味覚をはたらかせて、それから適切な言葉を探して、発します。そう考えると、これまでの【経験】【検討】ステップは、食べ物を口に入れるやいなや論評を始めるようなものだったかもしれません。

次からは味わう時間を長くしてみようと思います。美味しい経験ばかりではないのが辛いところですが。