カテゴリー
コンセプトノート

251. 心を決める − 決断するのではなく、訪れを待つ

「決断」というと「決めて、断じる」と書くくらいですから、瞬間的な心の動作だというニュアンスがあります。しかし、キャリアチェンジの決断を一瞬でできる人はいないでしょう(実際にはいるでしょうが、わたしは会ったことがありません)。

『シンクロニシティ』に、印象的な箇所がありました。著者は、自ら立ち上げて成功させた法律事務所を辞し、リーダーシップを育成するフォーラムを作る夢を抱くようになります。しかし著者はリーダーシップについてはまったくの門外漢。弁護士としての成功を捨てて冒険をする合理的な理由はありません。

彼が心を決めるに至るくだりを長めに引用します。ゆっくり読んでみてください。

 ヒューストンで、トム・ファットジョーに夢について話したときも、私は最終的に「難しすぎる」というラベルを貼った箱のなかにその夢を放り込んでしまった。未知のものに対する不安も、払うことになる物質的な犠牲も、克服できなかった。私は安定という繭(まゆ)のなかから動かず、親しい人たちという居心地のよい領域から、いうなれば自分の属する部族から、出ようとしなかった。

 しかしその後、一人で過ごすことがだんだん多くなっていった。書いたり、読んだり、考えたり、深く思いをめぐらせたり。そういうことをして、私は晩や週末を過ごした。空いた時間はすべて精神的な戦いに充(あ)てて、新しくフォーラムをつくることについて考えた。どんな感じになるか、どんな成果が現れそうか、その様子を心に思い描いた。

 やがて、夢が現実になった様子が、私の心をとらえて離さなくなった。私の体のすみずみにまで、そのビジョンが染みとおっていった。私がビジョンになり、ビジョンが私になる。その状態はその後十年つづくことになった。

 心を決めたとき、決断したという感覚はまったくなかった。「すべき」ことについて決心したのではなく、むしろ、ほかにできることは何もない、という感じだった。

ジョセフ・ジャウォースキー 『シンクロニシティ 未来をつくるリーダーシップ』 英治出版 2007年

著者は、夢がかなった状態が「どんな感じになるか、どんな成果が現れそうか、その様子を心に思い描」く作業を「精神的な戦い」と呼んでいます。独りで行う戦いです。そして最後には、エイヤと断じることなく心が決まります。

うらやましいような意志決定のあり方です。