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コンセプトノート

250. ご縁(偶然の出会い)がもたらし得るもの

 シンクロニシティそのものは、偶然に関連する出来事がほぼ同時に起こることを、非因果論的に捉えたものだ。ある意味、因果論に固執する近代以降の科学的思考法へのアンチテーゼでもある。

ジョセフ・ジャウォースキー 『シンクロニシティ 未来をつくるリーダーシップ』 英治出版 2007年

上記は、監修の金井壽宏先生が解説に寄せた文章から引いています。日々の仕事で「因果論に固執する近代以降の科学的思考法」ばかりやっているせいか、その限界について、特に個人の意志決定を因果論的に考える限界については、よく考えています。

前回のノート『原因と結果の間にあるもの』では、原因(直接的原因)と結果の間には「縁」(間接的原因)があると書きました。これは仏教では基本的な考え方だそうです。その後読んだ『偶然のチカラ』という本で、博覧強記で知られる博物学者の南方熊楠が因果関係について考察を寄せていることを知りました。以下に『偶然のチカラ』からの孫引きですが、南方の書簡を引用します。

「因はそれなくしては果がおこらず。また因異なればそれに伴って果も異なるもの、縁は一因果の継続中に他因果の継続が竄入(ざんにゅう)し来たるもの、それが多少の影響を加うるときは起、(中略)別に何のこともなきときは縁。(後略)」

南方は、前回のノートで「縁」と呼んだ間接的原因(わたしの解釈では「偶然」)の部分を「縁」と「起」に分けて考えています。この発想を、わたしなりに解釈してみました。起業に例えて説明してみます。

起業家が出資者を探し、資本家が出会うのが「縁」です。その出会いは偶然であったとしても、起業家は起業を、資本家は出資を、それぞれ行うわけですから、それぞれが得るべき結果を得たということです。

一方、資本家が起業家のチームに飛び込んでしまったり、起業家が資本家の別の出資先の企業に入ってしまったりといったことも起き得る話です。そのように、お互いの結果が変わってしまうような偶然の出会いが「起」です。

「縁」と「起」の違いについて、書簡の他の箇所ではこのようにも書かれています。

「縁に至りては一瞬に無数にあう。それが心のとめよう、体にふれようで事をおこし(起)、それより今まで続けて来れる因果の行動が、軌道をはずれゆき、またはずれた物が、軌道に復しゆくなり。」

よく理解できたとはいえませんが、以下のように解釈しました。

『「縁」、つまり努力(原因)を自分の望む結果に近づけてくれる偶然は、常に無数にある。しかし心の持ちようによっては、その「縁」はまったく異なる結果に自分を導いてくれる「起」にもなる。』

冒頭で引用した『シンクロニシティ』では、著者が自らの旅を振り返ります。ある大きな望みを抱いた個人が、好ましい偶然の連鎖に乗って、おそらくは当人が予想していた以上に大きな成果を残すに至った旅です。

自分の望む結果を明確にイメージすることも重要ですが、そのために出会った「ご縁」が別の結果をもたらしてくれる(「起」となる)かもしれない。その可能性についても、オープンに構えておきたいと思いました。