「知っていること、信じていること、感じていること」で紹介した『第一印象の科学』を再読しました。人の印象は顔・声・身体・状況など多様な要素で決まると思いますが、本書はほぼ「顔」の印象に絞られています(原題は “Face Value” )。
人は第一印象で「信頼できそうか?」「支配的か?」を読み取る
われわれは人の顔を見ると、言語化しないまでも反射的に、元気そう、いい人そう、怖そう、機嫌が悪そう、頭が良さそう……といった印象を受けます。これらは、要するに何を感じ取ろうとしているのか。
顔の印象の研究では、信頼性と支配性という2つの軸がよく用いられているようです。支配性とは、本書には明示的な定義はありませんでしたが、こちらを従えるような行動に出そうかどうかという意味合いです。本書には次のような記述がありました。
印象には多くの重複性があり、単純な構造でも、そうした印象を体系化できる可能性があるということだ。この構造は、印象の類似性を統計学的に分析することによって得られる。実際、信頼性と支配性の印象は、印象の構造の基盤になっていることが判明した。
(p141)
この人は、信頼できるか否か。こちらを支配してきそうか否か。たしかに、社会的動物として判断力を磨くべき問いのように思えます。
他者を顔から判断することはできない
しかしその印象は、相手の人物を推し量るという点ではかなり不正確なようです。
性的嗜好や政治的志向、欺瞞行為や攻撃的行為といった複数の領域全体を通して、人の印象が正確だというエビデンスはほとんど得られていない。
(p223)
もし役に立たないならば、第一印象を形成する能力は退化してもよいはずですが、なぜそうなっていないのか。著者は複数の考察をおこなっています。一つ挙げると、人の行動は状況に強く依存するため、ある状況で受けた印象が違う状況における行動予測にはならないというものです。
心の習慣は顔に至る
他者を顔から判断することはできないかもしれない。だが、そうだとしても、顔に有益なシグナルがまったくないというわけではない。事実、顔には、人の情動的、精神的、健康的なステータス、さらには人生における状況に関する情報までが込められている。
(p252)
寝不足の人はまぶたが下がります。果実と野菜をたくさん採っている人はカロチノイドの効果で顔にわずかな黄色みがかかります。そのように、心身の状態が顔に表れる点については不思議はありません。
そういった現在の状態だけでなく、過去の感情の集積も現在の表情に反映されているという研究が印象に残りました。
印象は、相手の顔に現れる一時的な状態に影響を受ける。そしておそらく、長年にわたって頻繁に現れる同じ状況が作る表情は、人の顔に刻み込まれる可能性がある。
(p253)
老人を対象にしたある研究によれば、これまで感じることが多かった感情が中立的な表情に反映されるそうです。つまり、これまでの人生で怒りを感じることが多かったと申告した被験者は、中立的な表情も怒っているように他人から見えるということです。
この考えを18世紀に提唱したジェイムズ・パーソンズはこう述べているそうです。
心の習慣は顔に至る。たとえ、そこに至るまでに長い年月がかかるとしても。
(p259)
感情の読み取りは文脈に依存する
EQ能力の第1ブランチは「感情の識別」であり、EQを測定するテスト(MSCEIT)には顔写真から感情を読み取る設問があります。顔から感情を読み取る力はどれほど正確か。それは磨けるのか。そんな興味を持って本書を読んでいました。
表情から感情を読み取れること自体には言及がそれほどなく、暗黙のうちに肯定されていたと思っています。ただしハッとさせられる知見が2つありました。
一つは、表情は同じでも、しぐさが違えば感情の読み取り結果も違ってしまうこと。たとえば、嫌悪の感情は鼻の近くに皺が寄った特徴的な表情として表れます。しかし嫌悪の顔写真を、拳を振り上げたしぐさの身体の上に乗せると、怒りの表情に見えるのです。
もう一つは、強い感情を伴った表情は意外にも読み取りづらいこと。本書では、テニスプレーヤーの激しい表情だけを切り取った写真が並べてありました。喜びの雄叫びなのか悔しさの咆哮なのかが識別できるかというと、まるでできないのです。
要するに、「感情の識別」能力は、表情からの読み取りに加えて、身体の動きや周囲の状況にも大きく依存しているのです。ということは、他人に何かを伝えるときには、言葉と表情と身体的なメッセージを一致させねばなりません(書きながら、元テニスプレーヤーの松岡修造氏が、両の拳を握り・笑顔で・「やればできる!」と言っている図柄が浮かんできました。「励まし」の印象を誤解しようがないほどの強さで受け取れる明快なメッセージです)。