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コンセプトノート

015. 国を背負う

バルバドスという国をご存知ですか。カリブ諸島の一番東にあり、横浜市程度の大きさ(400平方キロメートル)の島に横浜市の8%弱(26万人)が暮らす小国です。昨年末、たった2泊ですがバルバドスの方を家に泊め、親しく話す機会を得ました。32歳の小学校の先生です。国際協力事業団(JICA)という特殊法人の招きで2週間ほど日本の学校教育を視察するプログラムに参加しており、うち2泊は一般家庭に泊まることになっていました。

国民性というよりは彼個人の性格なのでしょうが、行動や発言の端々に国を背負って立とうという人間の気概が感じられます。みやげ物屋に入れば自国の観光政策に、食事をすれば食糧政策に、子供と話せばもちろん教育問題に思いを来たすといった調子。夕食後にはやおら観光局制作のビデオを取り出し、机には地図を広げ、我が家をバルバドス漬けにして去っていきました。

彼のトークの対象は自国のみならず、例えば米国を牽制するために日本にしか取り得ない外交手段にまで及びます。彼なりの意見を述べてくれた後、どう思う?と問われると、同席していた友人共々答えに窮してしまいます。新聞で読んだようなことを並べて取り繕ったものの、いやーアツい男だったねー、で済まされないものを感じずにはいられませんでした。

26万人といえば日本では中規模の市ほどのサイズですが、国として持つべき機能を全て持った上で、国として生活していくだけの経済力を有していなければならないわけです。自然と目の行き所が広くなるのでしょう。私はといえば、人並みに情報は仕入れていても、正直言って対米外交は他の誰かがやっておいてくれるものでしかなく、彼と比べると圧倒的に「私」(個人と家族)のことを考えている時間が長いことを実感しました。

個人が国家の運営にエネルギーを割かずに個人としての幸福や生きがいを追求できるのは、国の豊かさ・成熟さの表れであり、いい国にいいタイミングで生まれてきた幸運を感謝しなければなりません。しかし、その中に住んでいるとそれが自動的かつ永久に続くような錯覚を持ってしまいます。

起-動線は「自分」がキーワードではありますが、内向きな人生を推奨するものではありません。自分を知り・伸ばすのは(社会に)活かすためであり、その果実として豊かな生活基盤・社会基盤を享受するためです。

#彼とはたまにチャットで話をします。ワールドカップの最中にも声を掛けてきてくれました。日本の応援をしてくれる一方でバルバドスが地域予選でコスタリカに勝った自慢話も忘れずに添え、相変わらずの愛国ジョークで笑わせてくれました(ちなみにオリンピックでも過去銅メダルを取ったことがあるそうです・・・すっかり洗脳されました)。当たり前ですが、国家の運営者だけでなくワールドカップの代表も26万人から選ぶわけです。各人が何らかの形で国を背負っているような感覚を持っているのかもしれません。