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コンセプトノート

625. 包容のサークルを描くために

インナー・イエス

交渉理論の古典 “Getting to Yes”(『ハーバード流交渉術』)の共著者、ウィリアム・ユーリーの新著『ハーバード流 最後までブレない交渉術』を読みました。原題を直訳すると「イエスを引き出す ― あなた自身と尊敬すべき交渉相手から」。特徴的なのは、本書を貫く「インナー・イエス」、いうなれば「内なる肯定」という概念です。

『インナー・イエスとは、自分自身を、次に人生を、最後に他者を受容し尊重する前向きな姿勢である。』

なぜ、自分・人生・相手の受容と尊重が重要なのか。著者は長年にわたって労使紛争や地域紛争の解決に尽力してきました。その経験から、『難しい状況であればあるほど、自分にイエスと言えなければ、相手にイエスと言わせることなどできない』と信じるに至ったからだそうです。

著者は、自分・人生・相手にイエスと言っていくために、それぞれを2ステップずつに分けた「インナー・イエス・メソッド」を開発しています。読書メモを兼ねてリストにまとめたものをご紹介します。これだけではわかりづらいと思いますので、興味を引かれる言葉を見つけた方は本書にあたってみてください。

  1. 【「自分の身になって」考える】 自分という最強の敵を理解する。自己批判という罠に陥らないために、大切な人やクライアントに接するのと同じく、心の奥底にある願望に耳を傾ける。
  2. 【インナー・バトナを養う】 対立が起きたとき、相手を非難せずに自分の人生や人間関係に責任を負う。何が起きようと自分の願望から目をそらさず、大事にすると自分に誓う。
  3. 【人生に対するイメージをリフレーミングする】 人は本能的に欠乏に対する不安を抱えている。これに対処するため、自分なりの充足感を作りあげ、自分の人生に対するイメージをリフレーミングする。ものごとがうまくいかないときでも人生は自分の味方だと考える。
  4. 【「ゾーン」にとどまる】 喧嘩や口論のさなかに、昔のことを思い出して憤慨したり将来を嘆いたりしない。本当の満足感を得られ、状況を好転させることができる唯一の場所、「ゾーン」にとどまる。この瞬間にとどまる。
  5. 【どんな相手でも尊重する】 人は、拒絶には拒絶で、個人攻撃には個人攻撃で、排斥には排斥で対抗したくなる。しかし、いかに難しい状況でも、相手の予想を裏切って敬意を払い、受け入れる。
  6. 【与え合う】 欠乏に対する不安があると、人はウィン−ルーズ型思考パターンの罠にはまり、自分の願望だけを満たそうとする。相手から奪うのではなく相手に与えることによって、ウィン−ルーズからウィン−ウィン−ウィンへと導く。

インナー・イエス・メソッド自分にイエスと言うための6つのステップ*ListFreak

排斥から包容へ

本書は6ステップを順に追っています。もっとも印象に残ったのは、ステップ5を解説した章「どんな許しがたい相手でも尊重する:排斥から包容へ」の冒頭にあった引用文でした。

彼はサークルを描いて私を締め出した――
異端者、反逆者、軽蔑すべきもの
しかし、愛と私には勝つための知恵があった
私たちはサークルを描いて彼を招き入れよう!
エドウィン・マーカム

敵味方の線を引いて自分を締め出す相手に対して、その相手をも含む大きな円を描いてくるんでしまう。そんなイメージが鮮やかに浮かんできました。調べてみると、エドウィン・マーカムはアメリカの詩人です。原文は out と in の韻が楽しい、チャントのようにリズムのよい詩でしたので引用しておきます。

He drew a circle that shut me out –
Heretic, rebel, a thing to flout.
But love and I had the wit to win:
We drew a circle and took him in!
(from “Outwitted” by Edwin Markham)

この章の事例を簡単に紹介しましょう。舞台は労使紛争。経営側は開口一番、敵対的で辛辣な言葉を浴びせてきます。
「われわれが今日ここにいるのは、法的義務以外のなにものでもない」
「われわれは君たちを信用していないし、君たちがしていることが気に入らない」

つまり「われわれ(経営者)」というサークルを描いて「君たち(労働者)」を締め出したわけです。これに対して労組のリーダーは、怒りを抑えて礼儀正しく返答しました。
「おっしゃりたいことはわかります。私たちがここにいるのは、協力して解決できないものか見極めるためです ―― この会社を成功に導いてくれている何万もの従業員のために」

つまり、労使双方を包む大きなサークルを描き返したわけです。「この会社」という言葉がそれを象徴しています。

このリーダーは当時を振り返って『最初の反応が残りの交渉の雰囲気を決める。ほんのわずかでも相手を尊重できれば、交渉の進路を劇的に変えることができる』と述べています。

包容のサークルを描くために

事例として読めば簡単なことのように思えますが、当事者として現場でこのように発想するのは容易ではありません。だからこそステップ5に置かれているのであり、ステップ1から4に本書の3分の2が割かれているのです。

引用したリストにあるように「拒絶には拒絶で、個人攻撃には個人攻撃で、排斥には排斥で対抗したくなる」のが普通です。わたしも日常的に経験しています。厳しい批判をされれば反射的に、「後出しジャンケンみたいに言うな」と自己防衛したくなったり、「そういうあなたはどうなんだ」と批判し返したくなったり、あるいは「そこまで言わなくても……」と凹みたくなったりします。

個人的には、このような情動的反応が生じなくなるほど自分を鍛えられるとは思いません。でも情動をやり過ごす一拍をつくり出して行動を選ぶスキルは、磨けます。その一拍のなかで適切な行動を選ぶために、どのように心を整えればよいか。

ステップ1すなわち自己認識が重要とはよく言われます。本書では、自分の感情や願望を観察することです。印象的だったのはステップ2の自己責任でした。

自己責任が欠落した自己認識は、自己憐憫に変容するおそれがある。自己理解が欠落した自己責任は、自己批判に陥る可能性がある。自分にイエスと言うには両方必要だ。(略)「自分の身になって」考えることで、まず自分自身に対する理解が生まれ、次に自分の人生と行動に対して責任を負うようになる。

自分の感情や願望が理解できても、自分で対処する覚悟や能力がなければ、自己憐憫に陥るおそれがある。厳しい、かつ身に覚えのある指摘です。

本書では、相手に働きかけるような話はほとんど出てこず、いわば自己観察と鍛錬の本です。著者が『ハーバード流交渉術』から30年以上経って著した本を、敢えて「その前篇」と呼ぶ理由もわかります。