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コンセプトノート

220. 伝道者は「布教」せず、教育者は「教育」せず、セールスは「販売」しない

伝道者は「布教」しない

「カトリックの布教のプロセスにヒントを求めたいのですが」
神学部長は答えた。

「高津さん、<布教>という時代は終わりました」

感じるマネジメント』(p114)

30カ国10万人のグローバル企業デンソーに企業理念を「浸透」させるプロジェクトに携わっていたコンサルタントと、キリスト教系大学の神学部長との会話です。

我々が「布教」という言葉からイメージするのは、『伝道者が上に立ち、下にいる人々に教えを授ける』(同書p114)という行為ですが、そういうやり方はもとより永続的ではなかったとのこと。

では、どうすればよいのか?

神学部長は続けた。

「教えるのではなく、共に学ぶのです」

同上 (p116)

教育者は「教育」しない

伝道者が布教をしなくなっただけでなく、教育者も「教育」をしなくなりました。同じ本から、『日本におけるコーチングの第一人者であり、学校教育の改革にも取り組んでいる』(p131)加藤雅則氏の言葉を引用します。

「同じ憧れに憧れられるのが、先生と生徒の良い関係です」

同上 (p131)

社会人向けのビジネススクールで講師を務めさせていただいている経験から、これはよく理解できます。一度社会に出れば、互いが先生であり生徒です。あるトピックについて多少なりとも経験を積み、研究を重ねた人間が先生「役」を演じるに過ぎません。
(もちろん、教育イコール一方的な知識の詰め込みというわけではありません。これまでの教育の一方通行的なイメージを象徴するために、カッコを付けて「教育」という言葉を使いました)

セールスは「販売」しない

1990年代の後半に既に、インターネットの普及によって商取引は「バイヤー・セントリック」「カスタマー・セントリック」にシフトしていくという観測がありました。商取引のパワーバランスが買い手・顧客に移るということです。

そして実際、そのような世の中になりつつあります。いま我々がものを買う前に、いかに多くの情報を仕入れ、いかに徹底的に販売者を比べているか。10年前を考えてみると隔世の感があります。

情報もモノも溢れた時代にあっては、押し売りは終わりました。顧客は、自ら興味を持ったものを選び抜いて買う。それを支援する「購買支援」がセールスの現在の定義です。

理念は「浸透」させられない

『感じるマネジメント』では、「浸透」という言葉が既におこがましさを帯びていることに気づき、「共有」という言葉に切り替えました。

では「共有」とはどうすることなのか。プロジェクトにおける具体的な行動と成果は本書に譲りますが、この言葉に象徴されると思います。

「相手の心の中にある宝物」とデンソー・スピリットをつなぐことだ。

同上 (p119)

「相手の心の中にある宝物」と○○をつなぐ。

伝えたい○○を持っている人は、じっくりかみしめる価値のある言葉だと思います。