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コンセプトノート

773. 人材・人財・人才

Resourceful Human Being

ヘンリー・ミンツバーグ教授(経営学、加マギル大学)のインタビュー記事を読みました。「働き過ぎの管理職が日本には大勢いると思うので、助言をお願いします」というインタビュアーの要請に応えて、次のように述べています。

日本の表現を使いましょう。「急がば回れ」。誰もが生き急ぎ過ぎています。ペースを落とし、気楽にしてください。1人ですべてを管理し、すべてを成し遂げる必要はないのです。管理職が休まなければ誰も休めなくなります。それでは人間的とは言えません。我々は「人的資源(human resource)」などではなく、「機知に富んだ人間(resourceful human being)」なのです。

ミンツバーグ教授が語る「管理職に最低限必要なもの」:日経ビジネス電子版

ミンツバーグ教授の「マネジメントはサイエンス(分析)とアート(直観)とクラフト(経験)ブレンドだ」という発想を紹介したのは、もう12年半も前でした(「クラフト:サイエンスでもアートでもない知」)。

今回も、human resource をひっくり返して resourceful human (being) というシンプルで本質を突いた表現に、教授の機知を感じました。

人材・人財

human resource(人的資源)という用語は人間をモノ扱いしているようで違和感があるという声を少なからず耳にします。人材という言葉についても同様で、部署名に「人財」という字を充てる企業も見かけるようになりました。いつからか分かりませんが、わたしが気づいたのは2003年あたりだったように思います。

人財は、人は材料でなく財産だという思いが伝わる言葉です。ただ、人材という言葉は「人柄としての才能」「才知のすぐれた人物」(精選版 日本国語大辞典)という意味であり、組織が成果を出すための材料といった意味合いはもともとありません。それに財と言い換えたところで、生産財・資本財という用語もあり、やはり企業の所有物というニュアンスは残ると思います。

そこに来て、resourceful human being 。人を材料や財産に見立てることなく、そのまま(何らかの強みを持った)「人」と呼ぶ。優れた発想に出会ったときに例外なく感じることを、今回も感じました。なぜ思いつかなかったのかと。

人才

resourceful human being は、わたしなら「才長けた人」と訳すかなあと思って読んでいました。となると、人材・人財の代わりに人才という言葉を充ててはどうかという連想がはたらきます。

辞書では「人材・人才」という一つの見出し語になっています。人材の本来の意味を引き継ぎつつ、ややネガティブなニュアンスをまとってしまった人材の代わりに、「人柄としての才能」をストレートに表す言葉として採用してみるのもいいかもしれません。

ついでに「資源開発」的なニュアンスのある「人材開発」という用語も代替候補を探してみたくなりますが、言葉遊びはこの辺にします。

最近「立ち止まり」(参照:「急がば止まれ」)に意識を向けていることもあり、ミンツバーグ教授の「急がば回れ」、そして「それでは人間的とは言えない」という言葉が印象に残りました。

職業人としての行為を評価する際に「これは人間的か」と問うたことはあまりないように思います。「これは倫理的か・道徳的か」といった社会を意識した問いとはまた違った、より個人的・根源的な判断基準になり得るこの問いを具体的にどう解釈するか、さらに吟味してみます。

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