戦術的共感
先週、先々週と、『共感の社会神経科学』という本からの学びをまとめました。共感については一区切りつけたつもりでしたが、意外な本でまた「共感」に出会ってしまいました。
読んでいたのは『逆転交渉術――まずは「ノー」を引き出せ』です。「訳者あとがき」によれば、著者のクリス・ヴォスは、FBIで20年以上の経験を積んだ元人質交渉人。現在はビジネススクールで教鞭を執りつつ、交渉トレーニングを手がける企業を経営しています。
交渉の本の例に漏れず、本書も「ハーバード流交渉術を超える」という章から始まっています。論理的に考えるだけではダメという主張も類書と似ています。
(実のところ、ハーバード流交渉術の開発チームも「感情、さらに感情の背後にある欲求に目を向けよ」という続編を出版しているのですが、残念ながら普及はしていないようです)
ただ、著者が例として挙げる状況がビジネスでなく誘拐という犯罪なので、感情への配慮が必要という主張が否応なしに伝わってきます。
「人間を問題から切り離せ」というのが、よく言われる決まり文句だった。しかし、考えてみてもらいたい。感情そのものが問題であるときに、人間を問題から切り離すことができるだろうか。
実際、交渉のトレーニングでうかがう問題意識の中には「合理的とは思えない、あるいは感情的な相手に対してどう交渉を進めたらよいか」というものが少なくありません。
本書ではそういった状況を含めて交渉に対するアプローチをまとめているのですが、とくに目を引かれたのが、冒頭の共感という言葉でした。本書では「戦術的共感」という表現を使っています。
著者はこの言葉を、理解した相手の感情の「裏」にも耳を傾けて、こちらの影響力を増大させることだと定義しています。交渉を進めることを強く意識した共感、という感じでしょうか。
ラベリング
理解した相手の感情やその「裏」を用いて「こちらの影響力を増大させる」ためのツールが「ラベリング」です。
感情を言語化するラベリングは、自分の情動を鎮めるために有効だという研究の結果を以前紹介しましたが、誰かに自分の感情をラベリングしてもらっても冷静さを取り戻す効果があるようです。
著者は誘拐犯に向かって
「刑務所へはもどりたくないようだね」
といった言葉をくりかえしかけることで、落ち着きを取り戻させたという経験を紹介しています。
「わたしは」という主語を入れないとか、ラベリングしたら沈黙するとか、とても具体的なテクニックが述べられているあたりに著者の経験値の高さがうかがえました。
本書は、米国では20万部売れ、Amazon.comでは1300超の五つ星が付いたそうです。となると考えておきたいのは、相手もこの本を読んでいたらどうなるのか、です。「戦術的共感」の使い手と、どう交渉を進めるか。残念ながらそこまでは本書に書かれていませんので、すこし考えてみました。
仮に、両者が同程度の共感力を持っていたとしたら、お互いの感情やその裏にある欲求や意図も同程度に読み取れるでしょう。そして、そこまで交渉に詳しい人であれば、両者が価値を獲得できるような交渉の進め方を知っているでしょう。
であるならば、操作主義的にふるまっても意味がないことをお互いに理解しあえれば、交渉はむしろスムーズに進められるように思います。たとえば
「ラベリングしてくださって感謝します。交渉を建設的に進められたいようですね」
といった返答が選択肢になるかと思います。
非難の聴取:敢えていやな質問に向きあう
もう一つ印象的だったのは、交渉の現場で戦術的共感をしていくための準備として挙げていた〈非難の聴取〉という作業でした。
これは『相手があなたについて言うかもしれないひどいことを、ひとつ残らずリストアップ』して、大きなものから対策を練っていくことです。
著者が挙げていた例では、主人公が自社よりも小さな企業との取引を縮小するための交渉にあたって〈非難の聴取〉を行ったところ、こんな非難が浮かんできました。
「小さいやつを強引に締めだそうなんて、典型的な元請け業者だな」
言葉としては発せられないであろう、こういった非難が予想されるなら、それはどのような局面か。どんな感情の裏に現れるか。どうラベリングするか。事前にそういったロールプレイを行っておくことで、本番の交渉は破綻なく進んだそうです。
この、いかにも精神的に大変そうな〈非難の聴取〉を読んで、以前の『「もっとも厳しい質問」に備えよ』というノートを思い出しました。
そのノートで引用した、『交渉の前に考えておくべき「厳しい質問」』を再掲しておきます。こういった厳しいリハーサルが、交渉の現場で相手の感情に意識を向ける余裕を生み出す源になるでしょう。
- 候補:「他の選択肢はありませんか?」(取引の例)
- 約束:「間違いなく仕事に専念できますか?」(採用面接の例)
- 底値:「最低、いくらまでなら譲歩できますか?」(取引の例)
- 二択:「これが私の最終案です。是か非か、今ここで答えてもらえますか?」(取引の例)
- 本音:「これを売ろうとする、あなたの本当の理由は何ですか?」(取引の例)
- 経験:「あなたはこの仕事の経験が十分ではないのでは?」(採用面接の例)
交渉の前に考えておくべき「厳しい質問」 – *ListFreak