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コンセプトノート

612. なぜ「文殊の知恵」には三人必要なのか

トロッコ問題の危うさ

トロッコ(トロリー)問題」というジレンマ状況における選択を考えさせるクイズがあります。ハーバード大学で政治哲学を教えるマイケル・サンデル教授が正義とは何かを考える題材として用いて有名になりました。また、被験者の脳活動を測定しながらこのクイズを考えさせるなど、脳神経倫理学の分野でも使われているそうです。

このような状況です。
『路面電車が制御不能となり、このままでは先の線路上にいる五人の作業員が死ぬ。あなたはポイント切り替え器を操作して他の線路に誘導することができるが、その場合そちらの線路上にいる一人の作業員が死ぬ。』

あなたはポイントを切り替えるか、否か。サンデル教授は生徒に選択を迫ります。それぞれの選択について意見を引き出し、それが立脚している前提に気づかせ、そういった立場にはすでに名前が付いていることを紹介したうえで、本題である正義論へと収束させていきます。

サトウタツヤ(立命館大学教授)『心理学の名著30』の中に、この問題について次のような指摘があり、ハッとさせられました。

この「路面電車のジレンマ」はそもそも即断思考以外を拒絶しており、脳の活動を活性化させるための極端課題だという事は無視できない。

「路面電車のジレンマ」とは「トロッコ問題」のこと。即断思考とは直感的な思考のこと。ダニエル・カーネマン教授が『ファスト&スロー』で命名したシステム1(速い思考あるいは直感)とシステム2(遅い思考あるいは論理)でいうシステム1の思考です。

トロッコ問題が提示する状況は緊急性が高く、かつ(警笛を鳴らすといった)他の選択肢が排除されています。授業というリアルタイム性の高い局面で選択を迫られれば、システム1(直感)で答えざるを得ないでしょう。いったん立場を表明した以上、それを守るためにシステム2(論理)を駆使して議論を進めなければならなくなります。

本来、正義論で紹介されるさまざまな主義主張は、どれも熟考のうえで導かれたもののはず。生徒の立場に身をおいて授業を追ってみると、結論には納得しつつ、どこかで巧妙に誘導されたような印象を持つかもしれないなと思いました。じっくり考える時間を与えられれば、違った結論に至ったかもしれないからです。

なぜ、文殊の知恵には三人必要なのか(二人ではダメなのか)

ここ数年、個人的な研究テーマの一つに掲げてきた「その場性の高い意思決定」への処方箋は、大きく2つあると考えています。

  1. 一拍置く(ことによってシステム2を割り込ませる)
  2. 判断基準をあらかじめ明確にしておく(=3か条のようなかたちで持論を磨いておく)

1の「一拍置く」とは、「その場」の中に少しでもじっくり考える間(ま)をつくり出すということです。しかし実際には、その間をつくり出すのが難しい。

たとえば交渉であれアイディア出しであれ、2人ではシステム2を発動させる余裕がなかなかありません。話すときには話す内容を考えるのに忙しいし、聞くときには話の内容を理解するのに忙しい。聞きながら「何と言い返そうか」まで考えてしまうことも多く、聞くときの方が忙しかったりします。

しかし3人いれば、交替でオブザーバーになれるので、他の2人の議論を聞きながらじっくり考える時間をつくり出せます。

たとえば研修では、意図的にオブザーバーという役を置いて、議論の様子を観察してもらうことがあります。主にシステム2で議論を捉えられるせいでしょう、事後のフィードバックは論理的で的確です。しかし役割を代えて議論の当事者になると、オブザーブしていたときに気づけた点に気づくのが難しくなります。

企業研修では、過去に会場の後ろでオブザーブ(見学)をしてきた人事部の方が受講生として参加されることがあります。先週の研修でも、そのような方がいました。過去に同じ研修を見学されており、どんなロールプレイやグループワークが課されるか、それぞれの学習ポイントを引き出すためにどんな仕掛けをしているか、すべてご存じです。にも関わらず「(見学と参加は)まったく違う体験でした。実際に講師に質問されたりグループワークの司会をしたりすると、うまくいかないものですね」とおっしゃっていました。

実務でも、システム2を割り込ませる工夫はされています。巧妙な交渉者は、部下などを同席させることがあります。味方を置くメリットはいろいろありますが、何かを言わせたり話しかけるなどして、一拍の間をつくり出せるという点も見逃せないでしょう。

アイディア出しも、議論から外れた3人めが重要なのかもしれません。2人の議論が白熱したところで、傍観者のように議論を聞いていた3人めが「待って、ということは……」などと言って、システム2の思考の成果を持ち込む。三人寄れば文殊の知恵といいますが、二人ではこれが難しいのではないでしょうか。

もちろん例外もあります。息の合ったペアは、沈黙を上手に使ったり意図的に議論を区切ったりしてシステム1と2をブレンドしていけるでしょう。「三人寄れば」というよりは、議論する二者(話し手と聞き手)と観察者の「三役揃えば」のほうが正確かもしれません。