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コンセプトノート

613. エモーショナル・コレクトネス

言わないのが悪い

先日、ある企業に研修講師としてお邪魔しました。その研修では、参加者を5人程度のグループに分けたうえで、ある状況設定のもとで役割を決めて疑似会議を行う、ロールプレイと呼ばれる演習をいくつか実施します。

役割を決めたら、役ごとの追加資料を読んで「役作り」をしてから演習に臨みます。ある演習における田中さん(役名)の役は次のようなものでした:田中さんは議論の流れを左右する深遠な意見を持っています。しかし、おとなしいうえに議題については門外漢で、自分の意見に自信がありません。

数十分ほど会議をしてから、参加者に戻って振り返ります。学びのポイントはたくさんありますが、田中さんに関していえば、田中さんが意見を言えたか、その意見がどう扱われたかを振り返ります。そのうえで他グループで何が起きていたかを聞いていくことで、並行世界を体験するかのように学べます。

参加者の一人Aさんは「自分の意見を言わない田中さんが悪い」という感想を述べられました。Aさんは、おそらく職場でも「声の大きい人」タイプで、他の演習でも強い主張によって会議を結論へと導いていました。Aさんらしい感想です。

そこで議論をふくらませるべく、次のような質問を皆さんに差し上げました:たしかに、意見を述べてこそ会議に参加する意味があろうというもの。しかし会議で意見が出ない原因を、意見を言わない個人だけに帰することができるだろうか?

エモーショナル・コレクトネス

こういうシーンを経験するたびに思い出すTEDトークがあります。政治評論家サリー・コーンの”Let’s try emotional correctness“です。「政治的に正しい(言葉づかい)」(political correctness)に引っかけた「感情的に正しい(言葉づかい)」(emotional correctness)という言葉をタイトルにしたこの短いトークでコーン氏が訴えているのは、相手の感情に配慮した言葉づかいの重要性です。

コーン氏が相手にしているのは、田中さんとは正反対に、がんがん自分の意見をぶつけてくる人たち。氏がレズビアンであることもあり、いわゆる保守派からすさまじい罵詈雑言が飛んでくるとのこと。しかし保守派の中にも耳を傾けたくなる人はいて、その鍵が「感情的に正しい」言葉づかいだというのです。

「政治的に正しい」言葉づかいが「何を」言うかを示すとすれば、「感情的に正しい」言葉づかいは「どうやって」言うかを示します。聞く耳を持ってもらえなければ会話は成立しないがゆえに、「感情的に正しい」言葉づかいのほうが重要なのです。

とはいえ「感情的に正しい」言葉づかいは「政治的に正しい」言葉づかいのようにリストを作るわけにはいきません。どのような気持ちを作ってコミュニケーションを始めるかが重要になります。コーン氏はトークの終盤で次のように述べています:

Our challenge is to find the compassion for others that we want them to have for us. That is emotional correctness.
私たちの挑戦は、自分が相手に望むような思いやりの心を見出すこと。それが「エモーショナル・コレクトネス」なのです

Aさんにも「感情的に正しい」言葉づかいが必要、と言いたいわけではありません。この部分に関するわたしの振り返りはもっと利己的で、Aさんの発言を聞いてその場で「それだけじゃないでしょ」などとバッサリ切り捨てずに済ませられてよかったな、というものでした。コーン氏のトークを何度も見てきたおかげかもしれません。