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コンセプトノート

391. さばかない

「裁かない」といういい言葉

実家に寄ったら、蔵書を整理中とのこと。山積みの本から『眠られぬ夜のために〈第2部〉』を手にとってパラパラとめくっていたら「裁かない」といういい言葉を見つけました。

ちなみに「いい言葉」にもいろいろあります。思いつきで身近さ別に分けてみると、こんなかんじでしょうか。

  • 特Aクラスは自分の信条の一部をなしている言葉で、当然いつでも思い出せます。
  • Aクラスは手帳に書いて持ち歩く言葉。
  • Bクラスは、持ち歩かないけど必要があれば取り出せる言葉。
  • Cクラスは、出会うたびに「そうそう、これはいい言葉だよね」と思うけれど、しばらくすると忘れてしまう言葉。

わたしにとって「裁かない」というのは今のところBクラスです。*ListFreakから取り出してみると、こんなところで使っていました。

  1. 人間は一人ひとり違うことを忘れない。
  2. 相手が感情を表に出すことを助ける。
  3. 感情的に巻き込まれることを避ける。
  4. ありのままの人間として受け容れる。
  5. 裁かない。
  6. 決めるのは相手。
  7. 秘密を守る。

相談に乗るときの心がけ(バイスティックの7原則)*ListFreak

「ジャッジになる」もいい言葉

ところが、しばらく前に「ジャッジになる」をいい言葉だなと感じたことを思い出しました。「意志決定の手本となる(あの人なら、どうするだろうか)」というノートでも触れた中学校の先生が、「これは善い、それは悪い」という判断基準をしっかり示すことが、先生というか大人の役割であるという意味で、「ジャッジになる」というキーワードを使われていました。ジャッジになるとは、文字通り裁くことです。

「裁かない」に感じる好ましさと「ジャッジになる」に感じる好ましさを両立させるために、こんな区分を考えてみました。

      裁かない    
  ┌──┬──┐  
人│信頼│放任│言
格├──┼──┤動
を│偏見│教示│を
  └──┴──┘  
      裁  く      

相談に乗る場合には、相手の言動であれ人格であれ、まずは「裁かない」。そのうえで、アドバイスが求められている状況であれば、言動についてのみ「裁く」、つまり自分の善悪の基準で相手の言動を評価して伝える。わたしはそういう図式を好ましいと感じているようです。

「捌かない」も、たぶんいい言葉

さらに「さばく」つながりで、「捌く」という言葉に違和感を感じたシーンを思い出しました。ファシリテーションの講座だったか書籍だったかで「捌く」という表現があって、どことなく「上から目線」な印象を受けたのです。

捌くとは、手偏に別けるという字が示すとおり、切り分けるとか片付ける(例:売り捌く)という意味です。頻出漢字ではないので「さばく」とひらがなで書かれがちです。

発言の内容を整理するという意味での「さばき」は必要です。しかしこれが「うるさい人のさばき方」「少数意見にこだわる人のさばき方」など「〜な人のさばき方」となってくると、それはいつしか「〜な人の裁き方」に転落してしまいそうです。実際、「裁く」は「捌く」から派生した言葉で、「捌く」という言葉の「理非を裁断する」という用法に「裁く」の字が当てられたようです。

問題を切り捌いてしまうことで問題の全体が見えなくなってしまうリスクは、かねてより実感しているところでした。これに加えて、「もの・ことの捌きが、いつしか人の裁きにつながる」リスクについても、分析的思考(まさに捌きの技術です)を教える立場の人間として、心しておきたいと思います。