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コンセプトノート

321. 「責任」という言葉に込められる、さまざまな意味合い(2)

前回からの続きです)

「責任を持つ」とは「最善を尽くすと約束した上で任務を引き受ける」こと

もし部下が「責任を持つとはどういう意味ですか?」「責任を持って仕事をしているかどうかを、どう評価するのですか?」と聞いてきたときに、どう答えるべきか。

一部は、前回見てきたような「結果責任を取ってもらう」という答えになるでしょう。しかし、それだけではないはずです。「結果に責任を取ってもらう」だけでは、「責任(感)を持って取り組んでもらう」という意味あいが伝わりません。

「ビジネスは結果がすべてなのだから、結果だけに責任を持つという考え方でよいではないか」という考え方もできます。しかし、これは効果的とは思えません。

まず、自分の能力が100パーセント、しかも即座に結果に反映される仕事でもない限り、仕事に投入した能力とその結果は一致しません。したがってわれわれは結果への評価に対して「報われない感」「不運感」を感じがちです。

とはいえ、長期にわたって評価を繰り返していけば、能力は結果として現れてくるものです。ですから、結果だけで判断するというやり方は、長期間のつきあいを前提とするならば、合理的です。

しかしそれでは、金の卵を腐らせてしまうリスクが高まります。逆説的なことに、長期間のコミットメントを引き出すためにこそ、能力を評価してあげることが重要なのです。そして、持てる能力をつねに十分に発揮してもらうためのキーワードが「責任」なのです。

以上をふまえて、わたしなりに定義をしてみます。責任を持つとは「(結果にかかわらず)最善を尽くすと約束する」ことです。結果が出ないときに工夫をすることはもちろん、結果が出てもそこで力をゆるめないということです。

評価との関係でいえば、仕事の責任を持つとは「この仕事に対する取り組みを、自分のベストの能力を発揮した結果として評価してもらってかまわない」という宣言です。上司からすると「その仕事ぶりをあなたのベストとみなして能力を測りますよ」という宣言です。

今期はなんとなく調子が出なかったとか、求められる結果は出したので後半は流したとか、実際にはいろいろあります。「今期の仕事ぶりだけを見て能力を測られてはたまらない」と思うこともあります。しかし、仕事に責任を持つ、つまり「その仕事に最善を尽くす」と約束したのですから、「もっとできたのに……」「潜在的な能力も評価してほしい……」という言い訳はなしです。

二つの責任のバランスはどうあるべきか

責任が「結果についての賞罰」と「最善を尽くすという約束」の二つの意味合いを含むとして、評価に当たってどのようにバランスされるべきでしょうか。主要な変数をいくつか考えてみました。

  • 職位……高い職位にあることは、「最善を尽くすという約束」を守れる人であるということの結果でもあるはずなので、この意味での責任は果たして当然と見なされる。したがって「結果についての賞罰」の比重が高くなる。低い職位にあるうちは、結果をコントロールする余地も小さいので、「最善を尽くすという約束」を果たすことが重んじられる。
  • 仕事の定型性……定型的な仕事では、投入した能力と結果が結びつきやすいので、どちらで測っても似た評価になるはず。新規事業の開拓や各種の改革など、結果について誰も予測し得ない仕事については「結果についての賞罰」を問うことが難しいので、相対的に「最善を尽くすという約束」の比重が高まる。
  • 個人の好み……結果が読めない仕事であっても、あえて「結果についての賞罰」で評価を受けることで動機づけられる人もいる。個人が責任の持ち方・取り方のバランスをある程度選べることが望ましい。