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コンセプトノート

320. 「責任」という言葉に込められる、さまざまな意味合い(1)

「責任」イコール「罰」?

ビジネスの世界では、よく「売り上げに責任を持つ」という言い方をします。これは、具体的には何を指しているのでしょうか。政治家や経営者が、不祥事の責任をとって辞任したりしますが、それと同じことなのでしょうか。

責任」をWikipediaで調べると、「義務あるいは義務に違反した罰を負担すること」とあります。すると「売り上げに責任を持つ」とは、売り上げ目標という義務を果たせなかったときに減給という罰を負うこと……?それでは誰もすすんで責任を持ちたくなくなってしまいます。そんな会社もあるでしょうが、ここでは例外としておきましょう。

広辞苑によれば、「責任」には2つの意味があります。一部省略のうえ引用します。

(1) 人が引き受けてなすべき任務。
(2) 政治・道徳・法律などの観点から非難されるべき責(せめ)・科(とが)。

これを見ると、政治家や経営者の辞任は、主に(2)の意味での「責任」を取る行為であることが分かります。これに対して、われわれがある商品の「売り上げに責任を持つ」という場合には、(1)の意味合いが濃いでしょう。

とはいえ、(1)だけではすまないように思えます。実際、小学館の「デジタル大辞泉」では、両者の中間的な定義をもうけていました。

1 立場上当然負わなければならない任務や義務。
自分のした事の結果について責めを負うこと。特に、失敗や損失による責めを負うこと。
3 法律上の不利益または制裁を負わされること。
責任 とは – コトバンクより)

われわれが仕事において「責任」という場合、程度の差はあれ、2の「結果について責めを負う」という意味合いを込めています。

「責任」イコール「結果について責めを負う」?

しかし、単純なオペレーション業務などを別にすれば、ある結果が100パーセント個人の責任だといえるケースはそれほど多くありません。特定の期間の結果に影響を及ぼす因子は無数に存在します。そして多くは、その期間内の個人の力ではいかんともしがたいものです。たとえば売り上げでいえば、景気が悪くなった、製品に不具合があった、前任者が見込み顧客の開拓を怠っていたなどなど。

そもそも不確定な将来に向けて意志決定を重ねていくのですから、結果は分かりません。結果は不確実なのに、失敗すれば責めを負うことは確実だとすれば、合理的な個人はどう振る舞うか。なるべく失敗しないよう、保守的な仕事の定義をするでしょう。

それでは企業が成長できないということになれば、今度は成功に対して報酬が用意されるはずです。合理的な個人は、それこそディシジョン・ツリーでも作り、報酬が最大化されるような目標を立てるでしょう。

これは、要するにアメとムチです。責任を持つとは「結果が出たらごほうびを、出なかったら罰をもらう」というだけのことなのでしょうか。

それだけではないはずです。われわれが「責任感」を感じて何かをみずから引き受けるとき、そこには「イヤだけど義務だからやろう」という以上の、ポジティブな気持ちがはたらいています。その気持ちは、大辞泉の「1 立場上当然負わなければならない任務や義務」というイヤイヤ感のにじみ出た定義よりも、広辞苑の「(1) 人が引き受けてなすべき任務」というすがすがしい言辞に、より正確に表現されていると感じます。

たとえばあなたが上司だとしたら、部下に「この商品の責任者をあなたにお願いしたい」というとき、そこに込めているのは「立場上の義務を負わせるぞ。うまくいけばごほうびをあげるが、失敗したら罰を食らわせるぞ」という気持ちだけではないでしょう。

では、具体的にはどういう気持ちなのか。もし部下が「責任を持つとはどういう意味ですか?」と聞いてきたときに、どう答えるべきでしょうか。(次回に続きます)