伝道者は「布教」しない
「カトリックの布教のプロセスにヒントを求めたいのですが」
神学部長は答えた。「高津さん、<布教>という時代は終わりました」
『感じるマネジメント』(p114)
30カ国10万人のグローバル企業デンソーに企業理念を「浸透」させるプロジェクトに携わっていたコンサルタントと、キリスト教系大学の神学部長との会話です。
我々が「布教」という言葉からイメージするのは、『伝道者が上に立ち、下にいる人々に教えを授ける』(同書p114)という行為ですが、そういうやり方はもとより永続的ではなかったとのこと。
では、どうすればよいのか?
神学部長は続けた。
「教えるのではなく、共に学ぶのです」
同上 (p116)
教育者は「教育」しない
伝道者が布教をしなくなっただけでなく、教育者も「教育」をしなくなりました。同じ本から、『日本におけるコーチングの第一人者であり、学校教育の改革にも取り組んでいる』(p131)加藤雅則氏の言葉を引用します。
「同じ憧れに憧れられるのが、先生と生徒の良い関係です」
同上 (p131)
社会人向けのビジネススクールで講師を務めさせていただいている経験から、これはよく理解できます。一度社会に出れば、互いが先生であり生徒です。あるトピックについて多少なりとも経験を積み、研究を重ねた人間が先生「役」を演じるに過ぎません。
(もちろん、教育イコール一方的な知識の詰め込みというわけではありません。これまでの教育の一方通行的なイメージを象徴するために、カッコを付けて「教育」という言葉を使いました)
セールスは「販売」しない
1990年代の後半に既に、インターネットの普及によって商取引は「バイヤー・セントリック」「カスタマー・セントリック」にシフトしていくという観測がありました。商取引のパワーバランスが買い手・顧客に移るということです。
そして実際、そのような世の中になりつつあります。いま我々がものを買う前に、いかに多くの情報を仕入れ、いかに徹底的に販売者を比べているか。10年前を考えてみると隔世の感があります。
情報もモノも溢れた時代にあっては、押し売りは終わりました。顧客は、自ら興味を持ったものを選び抜いて買う。それを支援する「購買支援」がセールスの現在の定義です。
理念は「浸透」させられない
『感じるマネジメント』では、「浸透」という言葉が既におこがましさを帯びていることに気づき、「共有」という言葉に切り替えました。
では「共有」とはどうすることなのか。プロジェクトにおける具体的な行動と成果は本書に譲りますが、この言葉に象徴されると思います。
「相手の心の中にある宝物」とデンソー・スピリットをつなぐことだ。
同上 (p119)
「相手の心の中にある宝物」と○○をつなぐ。
伝えたい○○を持っている人は、じっくりかみしめる価値のある言葉だと思います。