「橋を築いていませんね」
著述家ケント・ラインバックは『なぜ正しい助言を素直に受け入れられないのか』という記事で、自身が助言を受け入れられなかった経験を振り返っています。ラインバック氏は、リーダーシップ研究で知られるリンダ・A・ヒル(ハーバード・ビジネススクール教授)と多くの共著をものしています。
彼が組織人だったときの経験談です。会社の問題と今後の方向性について経営陣の説得を試みたが、真剣に耳を傾けてもらえなかった。そこで同席していた社外のコンサルタントに尋ねたそうです。
「私の重要な指摘を、全員があくびをしながらスルーしていました。いったいどうなっているのでしょうか?」
「確かに重要な指摘でしたが」と彼は答えた。「あなたは橋をまったく築いていませんね」
彼は『相手と同じ視点で対話をするのではなく、ただ自分の考えを通達していた』と気づいたものの、『何らかの歪んだ思考』が働いてしまい、その助言を受け入れられなかったと振り返っています。
コンサルタント自体、橋を築いていないのでは……と思いましたが、それはともかく、伝える際には「橋を築く」というメタファーが印象に残る記事でした。
水を流す前に水道管を通す
では、橋の正体は何か。やはりメタファーとして記憶に残っているのは、ある先輩から教わったコミュニケーションの要点です。
いわく、「論理が水で、感情が水道管」。
正論(水)が通じないのは、相手が心を開いていない(水道管がない)から。まずは水道管を通す。できれば太くする。水を流すのはそれから。そういう教えでした。
水道管も、相手と自分の間に通すものですから、橋の一種といえます。おおよそ同じポイントを伝えてくれる例えですが、個人的にはこちらのほうがイメージしやすいです。
最近、会議にまつわる問題をさまざまな企業の方からうかがった際に、これを思い出しました。いざ会議を始めてから、十分な情報がない・決定権を持つ人がいない・前提が大きく違う・話し合いの意欲がない……といった問題が明らかになり、「足並みを揃える」のに会議時間の多くを使ってしまう、という声が多く挙がっていたのです。
これは、水道管がないのに水を通そうとしている、つまり「話し合える状態になっていないのに結論を出そうとしている」ことから起きている問題と言えるでしょう。であれば、「話し合える状態をつくる」のと「話し合って結論を出す」のを分けてはどうかと思いました。一つの会議の中を「準備」と「議論」に区切ってもいいでしょう。「準備」は、実は会議の前に済ませられることも多いでしょうし、場合によっては会議を分けてもいいかもしれません。
相手の宝物とつなぐ
メタファーつながりでもう一つ。ずいぶん前に『伝道者は「布教」せず、教育者は「教育」せず、セールスは「販売」しない』というノートで採り上げた話です。
理念浸透を図ったグローバル企業のために奔走したコンサルタントは、最終的に『「相手の心の中にある宝物」と理念をつなぐ』ことが本質であると気づきます。
伝えるとは、「相手の心の中にある宝物」と伝えたいものをつなぐこと。やや叙情的な表現ですが、橋や水道管とはまた違った意味合いがあります。
橋を築く、水道管を通す、相手の宝物とつなぐ。多様な比喩の試みが、(ややこしい表現になってしまいますが)伝えることの難しさを伝えるのもまた難しいことを示しています。
伝えることの難しさを思えば、このような例えをもっともっと収集してみるべきかもしれません。それらを経験に照らして自分の中に位置づけていくことで、自分なりのイメージを持てるようになることを(自分に)期待しています。