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コンセプトノート

763. 直感で決めてよいこと、よくないこと

チェス・プロブレム

冷静な意思決定に感情がどう寄与しているか。チェス・プロブレム(チェスにおける詰め将棋のようなゲーム)を使って定量的な測定を試みた論文がありました。(1)

被験者は、与えられた局面についての課題を2~3分で解くよう指示されます。このとき、何が起きるか。

チェスの上級者は、1万から10万ほどのチャンク(戦術的に意味のある駒の配置)を長期記憶に蓄えているそうです。そこから、盤上の状況に関係しそうなチャンクを作業記憶に移します。ただし、作業記憶が同時に保持できるチャンクは3~4個程度。したがって適切なチャンクを呼び出し、次々に評価を下していかなければなりません。

研究者らは、チェス・プロブレムを解いている被験者の視線、微表情、身体の動き、瞳孔の開き具合、心拍数の変化を測ることで、感情の状態の変化を追いました。その結果、情動(短時間で起きる感情の変化)が思考や意思決定を促している様子が示唆されたのです。

たとえば、難問に挑んでいた被験者は、60秒過ぎに大きな情動を示しました。急激に気持ちがネガティブに触れ、覚醒度が上がり、瞳孔が開きます。2~3秒でそれが過ぎ去ると同時に、嫌悪や恐れの感情が現れました。自己申告の結果と突き合わせた結果、解くのを諦めた瞬間だったことがわかりました。

人は「While(持ち時間){If(検討すべきチャンクが残っている) Then(検討を続ける)}」と機械的に考え続けるのではなく、「まだ検討すべき!」「もう検討し尽くした……」といった情動の声を聞いて考えています。声を聞くというのは比喩表現で、実際には生理的な変化を感じ取るわけですが。

このあたりは、アントニオ・ダマシオのソマティック・マーカー仮説を裏付けるような話でした。

規則性、経験、フィードバック

では、その直感の声はどの程度頼りになるのか。この記事を読んで思い出したのが、ダニエル・カーネマンのスピーチをまとめた記事でした。

曰く、プロのチェスプレイヤーは自分の直感を信じてよいが、株式トレーダーは直感を信じても報われないそうです。なぜかといえば、直感を信じてよいのは、対象が次の条件を満たす場合に限られるから。

  1. 【規則性】 その対象が学習可能な程度に規則的であること
  2. 【経験】 その対象に対して大量の経験を積んでいること
  3. 【フィードバック】 個々の経験について即時的フィードバックを受けていること

直感を信じてよい条件*ListFreak

学習可能な程度に規則的とはどれほどなのか。大量の経験とはどれほどなのか。つかみづらいリストですが、メッセージはよくわかります。この条件に照らすと、株式市場は規則性が低いために直感を信じてよい対象ではないということになります。

直感を磨こうと考えるとき、経験とフィードバックはある程度当事者の努力で何とかなりますが、規則性は対象の性質に依存します。そして規則性は、対象をとらえる抽象度に依存します。

たとえば、事業は揺籃→成長→停滞→衰退といった段階をたどるというレベルでは規則的と言っていいでしょう。事業の栄枯盛衰を何回も味わってきた経営者であれば、いつ拡大し、いつ引き締めるかについての直感がはたらくはずです。しかし、それがいつどの程度の大きさで移り変わるかは、株式市場と同じく複雑な要因の産物であるため、過去の経験に基づく直感だけを信じてよいほど規則的とは言えないでしょう。

そう考えると、チェスは直感を信じて判断してよい貴重な例外です。もちろん熟練者であればという条件付きですが。この論文から教訓を引き出すとすると、われわれは論理的に考えているときでも直感の助けを借りているという事実を認識し、一拍置いて検証する癖を付けるべきということでしょうか。

もし対象に規則性があれば、その検証がフィードバックとなって直感を磨いてくれるはずですから、どちらにせよ損はありません。


(1) “The Role of Emotion in Problem Solving: First Results from Observing Chess