Yes is more.
『人類の未来―AI、経済、民主主義』は、サイエンスライター吉成真由美さんによる5人の「知の巨人」へのインタビュー集です。「知の巨人」という言葉は帯からの引用。
巨人のうち4人は、ノーム・チョムスキー、レイ・カーツワイル、マーティン・ウルフ、フリーマン・ダイソン。そうそうたる面々ですが、インタビュー時の平均年齢で78歳くらいでしょうか、かなりの高齢者集団です。
そこに一人、40歳と飛び抜けて若い、知らない人物が混じっていました。ビャルケ・インゲルス。建築家だそうです。
――「イエス・イズ・モア (Yes is more.)」というあなたのスローガンは、どのような意味を持っているのでしょうか。
インゲルス (略)単に一つの条件や要求に対して「イエス」と答えるだけでなく、複数の、しかも対立するような要求に対しても何とかしてすべて「イエス」と答えようということ。「イエスと言うことでより可能性が広がる」(Yes is more.) ということです。まさに体をねじってアクロバットをするように、デザインをよじりながらあえて矛盾するような要求を包含してそれらを実現していく。
そうすると、スタンダードな既存の解決方法というものはまったく役に立たなくなる。すべての条件や要求には応えられないからです。そこからまったく新しいデザインというものが半ば強制的に生まれてくることになります。すべてに対して「イエス」と言うことで、結果的にもっとたくさんのことをしなければならなくなるからです。
ミース・ファン・デル・ローエの “Less is more.” をもじったこのスローガンに惹かれました。本書の写真では作品のイメージがわかないので、「ビャルケ・インゲルスがワープスピードで語る3つの建築の物語」というTEDトークを観ました。彼が手がけた(手がけている)3つのプロジェクトの話です。
どれも、美しくて、機能的で、気宇壮大。このアプローチは『ビジョナリー・カンパニー』でいうところの“「ANDの才能」を活かす”ですし、我が田に水を引かせてもらえるならば、『クリエイティブ・チョイス』に収めた「取々選択」方式に近いと思います。
Less is more.
一方で、ANDでなくORを突き詰める、本質以外を削ぎ落とす、”Less is more.” なアプローチもあります。ここ数年で読んだ本でいえば『減らす技術』『エッセンシャル思考』あたりでしょうか。後者は「本質化の3C」としてまとめました。
- 【Cut(削る)】 削除。除く。やめる。捨てる。
- 【Condense(まとめる)】 凝縮。統合する。結合する。まとめる。
- 【Correct(正す)】 修正。整える。並べ直す。置き換える。
本質化の3C – *ListFreak
Which is more?
さて、Yes が more なのか、Less が more なのか。難しい問いですが、敢えて使い分けというか棲み分けを考えてみます。
建築を含めて、仕事のデザインとは「目的にかなった手段を選ぶこと」と定義してみます。すると、”Less is more.” は目的から、”Yes is more.” は手段から両者の接続を図るアプローチとして整理できないでしょうか。
“Less is more.” は、目的、つまり望ましい姿と価値観をはっきりさせなければ採用できないアプローチです。目的意識を研ぎ澄ませて、仕様や機能を削っていく。
“Yes is more.” は、矛盾するようにみえる目的群を一回受け入れて、多様な手段を試してみる。インゲルス氏は『“デザインをよじりながら”あえて矛盾するような要求を包含してそれらを実現していく』と表現していました。(“デザインをよじる”とは絶妙な訳。原語が気になります)
どちらにせよ「目的と手段の往復運動」をしていくことになるはずで、終着点は案外似てくるようにも思えます。
たとえば、万能の調理器具をデザインするとします。世の中には、千切り・みじん切り、ミンチ、皮むき、製麺など、用途別に様々な器具やマシンがありますが、”Less is more.” の精神でいけば、根本的な機能である「切る」に着目して、シンプルな包丁に行き着きそうです。では “Yes is more.” でいくと、全ての機能を詰め込んだお化けマシーンが答えになるかというと、そうでもないと思います。そういった選択肢も検討しつつ、シンプルな包丁と少々の工夫のほうが、逆に多くの目的を果たせると気づき、やはり包丁という結論になるかもしれません。