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こころのマネジメント―ひとりのメールが職場を変える


ミニレビュー

田坂広志さんが1999年に書かれた本。
「ウィークリー・メッセージ」というシンプルな習慣が職場をどう変えるか、著者自身の9年間に及ぶ経験から解説しています。

ウィークリー・メッセージとは

週に一度、職場のメンバーがエッセイを送り合います。ルールは3つ。

・プライベートなことでも自由に書いてよい
・他のメンバーに対する誹謗、中傷、冷笑はしない
・交換したメッセージを、決して職場以外のメンバーに伝えない

「仲良くなること」と「理解しあうこと」の違い

「直接対話」、つまり会って話をしたり、飲みに行ったりしても得られない何かが、エッセイの交換によって得られる。著者はそのような深みのあるコミュニケーションを仮に「深層対話」と名付けています。

これは誰しも経験しているところではないでしょうか。

・メールでばかりやり取りをしていた相手と実際に会って話してみて「ああ、やっぱり会って話すと話が早いな」と感じる
・いつも一緒に行動を共にしている相棒からのメールを読んで「ああ、あの人はそういうことも考えていたのか」とハッとする

どちらも正しい発見であり、直接対話と深層対話は互いに補完し合います。

言葉にならない智恵(暗黙知)を自覚する

さらに、書くという行為は「言葉にならない智恵」を自覚することができるという点で、書き手にとっても有益な作業でもあります。

引用:

 

 では、この電子メール反省会が、なぜ、こうした「言葉にならない智恵」についても、メンバーがそれを自覚することができる場となるのでしょうか。
 その理由は、やはり、もう一人の科学哲学者ヴィトゲンシュタインの遺した言葉に示されています。彼は、『論理哲学論考』という書のなかで、次のように述べています。

 「われわれは、言葉にて語り得るものを語り尽くしたとき、言葉にて語り得ぬものを知ることがあるだろう」

 このヴィトゲンシュタインの指摘は、きわめて大切なことを教えてくれます。
 すなわち、電子メール反省会のような場で、ある経験を通じて学んだものを、できる限り言葉で語ろうとします。その結果、言葉で語ることができたものは、「知識」(ナレッジ)として自覚されますが、結局、言葉で語ることができなかったものも、あるたしかな「感覚」としてわれわれのなかに残るのです。

操作主義的なマネジメントへの戒め

著者は、「こころのマネジメント」というタイトルが想起させるある種の操作主義 ―部下の心を、チームを、変えてやろう・導いてやろうという考え― を厳に戒めています。
北風と太陽の童話に例えれば、北風が管理主義、太陽が操作主義。太陽が旅人を温めるとき、それが純粋に旅人を温めるためでなく、上着を脱がせるためであれば、旅人はその意図を敏感に察知してしまうという話は印象的でした。このあたりは安直なコーチングテクニックの流行を予見していたかのようで見事。

「意図」を捨てよ、「勇気」を持て

ではマネジャーはどう振る舞うべきか。詳しくは本書に譲りますが、まとめれば、「意図」を捨てて「勇気」を持て、ということになるかと思います。ウィークリー・メッセージが産み出す「こころの生態系」を意図的に操作しようとせず、一参加者として率直な気持ちで飛び込んでいく勇気。それがマネジャーに求められているのだと理解しました。