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脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説


ミニレビュー

意識のメカニズムを解き明かそうという試み。
『私が興味を持つのは、「意識」が脳の中のどこにあるか、ではなくて、脳の中でどんなシステムとして存在し、なぜ、どのように働いているか、ということだ。』

そして著者は本書で「意識の地動説」と呼ぶ受動意識仮説を提示します。ごく大ざっぱに要約すれば、こんな感じです。
「意識」は自分の指令塔のようなものとしてすでにそこにあると思いがちだが、そうではない。逆に、脳内のさまざまなニューラルネットワークモジュール(本書では「小びと」と呼ばれます)が知覚器官からの信号や他の小びとたちからの信号を並列的に処理した結果を、後追いで「意識」として錯覚しているのだ。

著者自身による分かりやすいたとえ話を引用します。

引用:

あなたが(略)考え事をしていたとしよう(略)。このとき、「知」の小びとたちはせっせと働いている。もしも、急に、ガラスの割れる音がしたらどうだろう。はじめに音を聞く小びとが働く。次にガラスの割れる音を認識する小びとが働くだろう。そして、つぎに、ガラスが割れる音がするのは何か大変なことが起こったときだ、ということを知らせる小びとに伝えられる。その小びとは大騒ぎをするだろう。「知」の小びとの仕事を中断させるほどの勢いで。すると、あなたは、考え事を中断してガラスに注意を向ける。
 (略)
 議長(引用者注:意識)が、ガラスに関わる小びとたちをトツプダウンに指名したから、彼らが発言権を得たのではない。彼らが勝手に騒いだ結果、ボトムアップ的に主役に躍り出たのだ。

では単なるニューラルネットワークの出力結果を、なぜ「意識」として錯覚させる必要があったのか。これにも著者は答えを用意しています。やはり超要約を試みましょう。
人間が高度な認知活動の力を強みとして生き延びていくためには、過去にその個体が行ったことや注意を向けたことを記録しておく必要がある。個々の「小びと」の仕事を記録するため、進化の過程でエピソード記憶(Wikipedia)という効率の良い方法が編み出された。そのエピソード記憶の持ち主が「私」である。

これも、著者の解説を引用します。

引用:

 つまり、エピソードを記憶するためには、その前に、エピソードを個人的に体験しなければならない。そして、「無意識」の小びとたちの多様な処理を一つにまとめて個人的な体験に変換するために必要十分なものが、「意識」なのだ。「意識」は、エピソード記憶をするためにこそ存在しているのだ。「私」は、エピソードを記憶することの必然性から、進化的に生じたのだ。(太字は、引用元では傍点)

このあたり、アントニオ・ダマシオの『無意識の脳 自己意識の脳』を思い出しました。意識の役割について似た見解を示しているように思います。

引用:

意識的なプロセスなしにきわめて適切な命の調節がなされ、認識する自己の作用なしに技術が自動化され、また好みが実行されるとなると、意識はじつのところいったい何にとってよいのか?ごく簡単に答えれば、心の範囲を延長し、より延長された心をもつ有機体の命の管理を改善するのによいということ。
 (略)意識的な装置が扱うのは、有機体の基本的なデザインにおいては予測されなかったさまざまな環境的難問に対して、個々の有機体がどう対処すれば、生存のための基本的条件をそのまま満たしていけるかという問題だ。

ダマシオは、意識の役割は「有機体の基本的なデザインにおいては予測されなかったさまざまな環境的難問」に立ち向かうためと書いています。前野は、人類がその難問に立ち向かうツールとして進化の過程で獲得したのが「エピソード記憶」であり、その帰結として「意識」が生じたと書いています。

コンセプトノート