カテゴリー
資料

エンデの遺言―「根源からお金を問うこと」


ミニレビュー

「知ってしまった責任」という言葉に最近よく出会います。流行っているのか、それともそういうことを言う知り合いが増えたのかはわかりませんが、「知ってしまった以上行動する責任が生じる」というほどの意味だと思います。社会起業を試みている方々、地域通貨の導入や運営に奔走している方々にはある程度そういう責任感みたいなものがあるような気がします。

この本を「読んでしまった責任」として、わたしなりの理解で説明を試みましょう。正確にご説明いただける方からのコメント歓迎。ざっと読んで書いていますので、後日再読して補うかもしれません。

わたしは、多分あなたも、預金をしたり株式を買ったりして利子や配当を期待しています。どんどん稼いでどんどん投資に回すと、投資したおカネがおカネを産んでくれるはずです。これが資産運用というものです。

おカネを預けた以上利子が付いて当たり前だと思いますよね。どうして利子が付くのか。中学校で習うような話ですが、借りたおカネで人を雇ったり機械を買ったりすれば、一定期間後には最初のおカネ以上の価値を産み出せるはずだからです。

これは金融の大々前提で、おカネの「現在価値」というのは、「今日手元にある1円は、明日手に入る1円より価値がある」という前提に立って計算されます。

さて、最初と最後だけ見れば、おカネを貸したら増えて返ってくることになります。みんながこのルールに乗ってゲームをしているとなれば、他人より早くおカネを集めて、おカネを増やしてくれそうな事業家とか国に預けるのが合理的な選択でしょう。

ミヒャエル・エンデたちの指摘でハッとさせられたのは、現在のシステムには「将来に生じる利益をいま、われわれは価値として受け取っている」性質があるということです。

みんなが利益を産みそうだと思ったところにはおカネが過剰なまでに集まってきて、例えばそこが漁港であれば魚が獲りつくされるまで競争が止まらない。逆に、どうもおカネを預けても利益を産みそうもないと思ってしまえば、(なにしろ貯めておいても腐るものではないので)みんな貯め込んでしまう。

というように、「現在の貨幣システムの中でおカネを増やす」というところに競争の焦点が当たった結果、モノやサービスの交換を円滑にするという目的を大きく逸脱して、長期的には人類にダメージを与えるようなことまでやっているというのがメッセージだと受け取りました。

それに対する挑戦が、いわゆる地域通貨です。正直言って、おばあちゃんの肩もんであげるから100ナントカみたいな話にはあんまり興味がなかった(これまでの理解が浅すぎという話も)のですが、自分が投資するおカネの使途を限定できるとか、地域外からの資本の攻撃耐性を上げられるとか、やり方によってはいろいろな目的に使えるシステムだということが分かりました。