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職人ワザ!

  • タイトル:職人ワザ!
  • 著者:いとう せいこう(著)
  • 出版社:新潮社
  • 出版日:2005-08-24

ミニレビュー

いとうせいこう氏による「職人」たちへのインタビュー。
どんな方々にインタビューしているかというと:

扇子職人の幾何学 ― 『文扇堂』荒井修
文字の生命力 ― 『文字プロ』橘右之吉
手ぬぐいに風を感じる ― 『ふじ屋』川上千尋
見えない音の描きかた ― 効果音製作・南二郎
彫れば、わかる ― 原型師・山口緩奈
あわてる者は京都へ行け ― 京小間物『まねき屋』東海枝享子
オーダーメイドはソリューションである ― 『テーラーホリベ』堀部新一
音楽のように作るオリジナルかりんとう ― 『富士かりんとう』一柳製菓・菅逸朗
金鉱を掘り当てるようにパイプをつくる ― 『柘製作所』柘恭三郎
鰻の味は「一味清風」 ― 『鰻禅』村瀬保夫
スイッチひとつで奇跡を起こす ― 『テレビ朝日』福元照彦
スポーツ刈りは武道と見つけたり ― 『ヘアモードsegawa』瀬川守

特に興味深かったのは「株式会社文字プロ」橘右之吉氏へのインタビュー。「籠写し」という、いわば書を拡大縮小コピーする技法を紹介するくだりです。

例えば神社仏閣には、天皇が書かれたとされる巨大な額が掲げられていたりします。天皇の書は「御宸筆(ごしんぴつ)」といいます。神社の額なんかは、天皇の書を職人が「籠写し」で拡大コピーしたわけですから、オリジナルではありません。しかし御宸筆と呼ばれています。橘氏曰く、『天皇が看板屋じゃあるまいし、こんなとこに上ってこんなでかいもの書くかよ、おい(笑)。そんなことあり得ないでしょう』。

そこから、いとう氏の興味は、「コピーという作品」が日本でどのように扱われてきたかに流れていきます。少し長いですが引用します。

引用:

「つまり、それが職人によって写された可能性があっても……」
「御宸筆になるんです」
(略)
「だけど、細かい部分はどうするんですか?その分、細かく割り続けて写すんですか?」
オリジナル信仰がしみついた現代人としての僕は、つい気になってしまう。
「細かくやるところは、微妙なとこだけでいいんですから。他のところは、大体つなげていけば、曲線がそこを通るとかね。大体前より格好よくなればいいんです
「え?」
「前にあったやつを使うってことは、それは本歌取りといって、別に悪いことじゃない。お手柄とは言われても、あの野郎とは言われないわけですよ。ところが今は……」
 前より格好よくしていいコピー。しかし、考えてみればこの発想こそが日本の文芸、芸術の根本に横たわっているのだった。僕が一時ヒップホップに夢中になったのも、他人の音楽トラックの一部を”本歌取り”するというクリエイティビティのせいだった。それが今は……。著作権が我々を痩せ細らせている。
 しかし、右之吉さんはそこでこう付け加えた。
「ただ、本歌取りのしようがない、ここまでやられちゃったら手の入れ様がないとうのがあるんだね。本当はそこのところが狙いなんです。真似ようと思っても、同じことは出来ない、よく考えてあるねっていうのが。職人はみんな本当はそこのとこをやりたいんです」
 まいりました、と言いたくなった。コピーは自由であり前提である文化。しかし、それを超えてしまう作品を目指して、職人は腕を競ってきたのだ。
(太字は引用者による)

たしかに、コピーやリミックスに寛容な世界では進歩が早い気がします。

…という感じで、いろいろと考えるネタをくれる本でした。