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生きがいの創造―”生まれ変わりの科学”が人生を変える

(kojiさんがこの本を読んでどう感じるか楽しみ、というコメントをくださった方もいましたので、張り切ってすこし長めに)

わたしはよく「60歳になったらどれか宗教を選んで帰依しようと思う」といって友人・知人に笑われます。信仰というのは自然に沸き上がるもので、そうやって計画するものじゃないだろうとコメントをくれるその人たちも無宗教あるいは雑宗教です。

宗教は方便の体系、死や生き方そのものに対して論理的に矛盾の無い説明をつけてくれる安心の装置、だというのがわたしの考えです。そういう意味で、この本で論じられている「生まれ変わり」の真偽よりも、生まれ変わりを信じてみることで説明のつくことがたくさんあれば、わたしにとってはそれを信じる価値があります。(この本は新しい宗教を興そうとしているわけじゃないですよ、念のため)

著者は150もの文献や国内外の科学者・識者の言を引用しながら、オーソドックスな学術論文のアプローチで「生まれ変わり」を論じています。
「方便の体系」として魅力を感じたのは、「生まれ変わりによって世代を超えて魂が進化しようとしている」という大掛かりなシステム(系)を想定することで、人生の意義は自分の外にある大きな体系から与えられているという、「生きがい」の絶対的な肯定ができるところや、子供に「産んでくれと頼んだ覚えはない」と言われたときに答えられるロジックが手に入るところです。

わたし個人としてはこれによりかかりきれない疑問もあります。
・ 「魂」が成長を目的としていろいろ計画して生を繰り返しているとしたら、もっと人間性に進歩があってもいいのではないか。科学技術は世代を超えて進歩を蓄積しているけれど、人間性の方はあまり進歩しているようには感じられない。
・ 「魂」システムのはじまりはいつだったのか。
・ 地球の寿命も有限のはず。そのときこの「魂」システムはどうなるのか。
・ この「魂」システムの目的は何か。

著者の飯田さんが慎重に言及されているとおり、生まれ変わりの真偽そのものと、生まれ変わりという考え方の「人生に意味を与える安心の装置」「方便の体系」としての機能とがリンクしている必要は、必ずしもありません。大げさに言えば、この本で引用された文献がすべて架空のものであっても、人を信じさせるに足る一貫性と網羅性があれば論理体系として価値があると思います・・・ということで、興味を持って追っていきます。

ひとつ他の本からの引用をします。神を否定し、新興宗教を論破することを趣味としている唯物論者たちが、科学的に説明のつかない(と自分たちが考えた)殺人事件に遭遇し、超自然的なるものの信者に転向しかけてしまいます。その事件の謎解きをした探偵役の神父が、そんな態度の危うさを衝いてひと言:
「あなたがたが、これは超自然的な事件だという結論に飛びつかれたことを、わたしはけっして非難しているわけではない。その理由はじつに簡単です。あなたがたは三人とも、自分は殻の厚いがんこな唯物論者であると断言されたが、実際問題として、あなたがたは信仰の一歩手前の所であやうく均衡を保っていた ――つまり、なんでもかんでも見さかいなく信じてしまう寸前の状態だったわけです。昨今では、こういうきわどい一点で均衡を保っているひとが無数におります。しかし、この一点は、落ち着くにはあまりにけわしく居心地の悪い断崖のはずれにある。なにものかを信じてしまうまでは、不安の状態が続く。」
『ブラウン神父の不信』、G.K.チェスタトン、創元推理文庫

生まれ変わりのような、ややもすると胡散臭いと思われがちなトピックは徹底的に耳をふさぎたくなります。それは「もしかしたらハマッてしまうかも」といったような怖さを感じているからだと思います。この本では、学術的なアプローチで信頼性を高める努力を通じて、生まれ変わりを通じて「生きがいの創造」という知恵にたどり着き得ることを示してくれた点で、安心して読める生きがい論だと言えましょう。

(2003/1/18)
起-動線で知り合った方から、こんなコメントと共に推薦されました。
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飯田氏の本、とくに上記は仕事がら一度読んでおかれると
何らかの参考になると思います。
サブタイトル「生まれ変わりの科学が人生を変える」は
オカルト的に感じるでしょうが、
筆者の立場が、kojiさんに負けず劣らず真摯なのです。
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ありがとうございます。今年のモットーは、「真摯で行こう!」に決定。

実はこの1週間くらいで3人の方からこの本を推薦されてしまいました。誰か読了されている方?