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コンセプトノート

657. 運命、使命、宿命

運命も使命も重い

運命論という言葉には、どこか虚無的というか逃避的な印象を持っていました。運命とは「人の力ではどうにもならない、物事のめぐりあわせや人間の身の上。また、それをもたらす力(明鏡国語辞典 第二版)」です。結果が生じた原因をすべて運命に帰してしまっては、やることがなくなってしまいます。

ただ「現在は過去か未来か」というノートにまとめたように、運命論者の代表選手のように思っていたストア派でさえ、そう単純には考えていなかったことを学び、認識をあらためました。初期仏教も因果律を重視するために運命論的と言われることがありますが、自分も因果のシステムの一部ですから、望ましい将来に向けて手を打つ余地があります。

「~命」つながりでいくと、使命やミッション(「自分に課せられた重大な任務(明鏡国語辞典 第二版)」)も、わたしにはあまり実感を持てない言葉です。いまどきの組織はミッション・ステートメントを備えているのがふつうですし、マネジャーの方々と意志決定のあり方について議論をしていくなかで、使命感を持ってやっているという方もいらっしゃいます。

使命感を持って仕事に臨めるのはすばらしいことで、それを批判するつもりはありません。単に個人的に、自分のやることについて誰かから任務を課せられたとかミッションを与えられたと感じる機会がなかっただけです。

いずれにせよ、さすがに「命」がついた言葉は意味が重くなります。

自己が居るべきところに居るといふ実感

そんなことを久しぶりに考えたのは、福田恆存『滅びゆく日本へ: 福田恆存の言葉』にこんな言葉を見つけて共感したからです。

私たちが欲してゐるのは、自己の自由ではない。自己の宿命である。私たちは自己の宿命のうちにあるといふ自覚においてのみ、はじめて自由感の溌剌さを味はへるのだ。自己が居るべきところに居るといふ実感、宿命感とはさふいふものである。

定まった運命も課せられた使命も重たくて嫌だけれど、「自己が居るべきところに居るといふ実感」は欲しいと思います。自由を得るために。

ただ宿命というと、これは「前世から定められている運命(明鏡国語辞典 第二版)」なので、個人的には別の言葉を充てたいところです「○命」で近い意味合いの言葉を探してみると、「知命と立命」に行き当たりました。これは安岡正篤の書籍のタイトル。せっかくなので「自己が居るべきところに居るといふ実感」を持つためのヒントを求めて、もうすこし探究してみようと思います。