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コンセプトノート

658. 信念の変え方

この判断は信念を曲げているのか、育てているのか

『 第三代アメリカ合衆国大統領であったトーマス・ジェファーソンが、こんな言葉を残している。「信念に関しては、岩のように動じるな。その他に関しては、流れに任せてしまえ」と。』
―― アダム・グラント 『ORIGINALS 誰もが「人と違うこと」ができる時代』(三笠書房、2016年)

信念を定め、それに基づいて判断を下すのは、よい意思決定の要諦といえるでしょう。信念を曲げるというのはほめ言葉ではありません。ただ実際には、人の信念は変わります。変わります、では聞こえが悪いなら、成長します。

人間、確固たる信念を持って生まれてくるわけではありません。置かれた状況の中で刺激を受け、経験を積み、真偽・善悪・美醜の基準を培っていきます。したがって、状況が変われば信念も変わり得ます。

様々な人たちと仕事をしていく中で自分の信念が一面的だったと気づく。子供が生まれたのをきっかけに、自分の信念が長期的な視点を欠いていたと気づく。そういった経験によって信念が変わっていくのは望ましい成長です。

ただ、俯瞰的な視座からは望ましいとしても、個々の意思決定の局面においては、これまで従ってきた信念を変えて判断をするわけで、ここが悩ましいところです。信念を貫くべき局面なのかそうでないのかを、どのように見分ければよいのでしょうか。

「自他の立場を相対化する」という能力

自分の判断を疑うわけですから、これは批判的思考(クリティカル・シンキング)の話です。先日目を通した論文(1)で、「強い意味での批判的思考」という言葉を見つけました(2)。著者である九州大学の野村 亮太らは、クリティカル・シンキングについての書籍を多く著しているリチャード・ポールの文章(3)をこうまとめています。

強い意味での批判的思考とは,自他の立場を相対化しており,時に自分とは異なる立場に共感することができる.(略)この立場では自分自身の考えでさえどのような仮定に基づいているのかを判断できるため,妥当であると認めれば,自分の意見を退けて他者の意見を採用し,場合によっては信念を変えていくことができる(Paul, 1995).

「自他の立場を相対化する」とは、具体的にはどのような行為なのでしょうか。たとえば、過失を犯した部下について、自分の信念に基づいて処遇を決めたとします。
一つの相対化は、その判断を部下の立場に立って受け止めることでしょう。そのシミュレーションによって、その処遇がもたらす影響の大きさについて再評価できたり、処遇を決める前に本人に確認したい事項が見つかるかもしれません。
もう一つの相対化は、その判断を第三者的に見下ろすことでしょう。「自分の判断」を、たとえば「現代の、日本の、~株式会社の、~長の判断」「男(女)性の判断」「~を経験した(していない)人の判断」など、自分の属性に置き換えてみます。すると自然と「その属性でない人はどう判断するだろうか」というように相対化が促されるように思います。

とはいえ、言うは易し行うは難し。人間には、自分の信念にそぐわない事実や主張を過小評価・無視・攻撃しがちな傾向(信念バイアス)が備わっていることが知られています。それを乗り越えて「自他の立場を相対化する」ためには、どういった姿勢・態度で考えればよいのでしょうか。

「探究心を持つ」という態度

批判的思考は、知情意の知的側面(認知スキル)としてだけでなく、情意的側面まで含めて定義することも可能です。京都大学の平山 るみらは、後者を批判的思考態度として因子分析を行い、4つの因子を見出しています(4)

  • 論理的思考への自覚(例:複雑な問題について順序立てて考えることが得意だ)
  • 探究心(例:いろいろな考え方の人と接して多くのことを学びたい)
  • 客観性(例:いつも偏りのない判断をしようとする)
  • 証拠の重視(例:結論をくだす場合には、確たる証拠の有無にこだわる)

批判的思考態度の4因子*ListFreak

この4因子の中で、信念バイアスを克服する鍵となるのは、探究心。

多くの研究で指摘されている,信念と矛盾する証拠を低く評価するというバイアスを,意図レベルでの問題とされる批判的思考態度によって回避することが可能になること,またその態度はさまざまな情報や幅広い知識を希求する「探究心」という態度であるということが明らかにされた。

信念を、守るべきものでなく探るべきものとみなす。ソフトウェアのようにバージョンアップし続ける対象とみなす。そんなつもりで探究を続けることが、強い意味での批判的思考を可能とし、結果的に信念の変えどきをつかめるようになる。そんな仮説を持って、2017年もよい意志決定(&意思決定)のあり方を探究していきたいと思います。


(1) 野村亮太, and 丸野俊一. “個人の認識論から批判的思考を問い直す.” 認知科学 19.1 (2012): 9-21.

(2) ちなみに「弱い意味での批判的思考」について、先の引用文の前の部分を引用しておきます。

弱い意味での批判的思考とは,あくまで自分の立場からの批判であり,自分とは異なる立場や準拠枠に共感
することはない.そのため,他者の推論の欠点を論うことはできたとしても,自分自身の考えや信念が変わることはなく常に保持される.結果として,批判は時に利己的あるいは詭弁的なものとなるのだという.

(3) Paul, Richard W., and A. J. A. Binker. Critical thinking: What every person needs to survive in a rapidly changing world. Center for Critical Thinking and Moral Critique, Sonoma State University, Rohnert Park, CA 94928, 1990.

(4) 平山るみ, and 楠見孝. “批判的思考態度が結論導出プロセスに及ぼす影響.” The Japanese Journal of Educational Psychology 52.2 (2004): 186-198.