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コンセプトノート

644. 自ら(みずから)と自ずから(おのずから)

わたしたち結婚することになりました

〈稲葉〉(略)例えば「わたしたち結婚することになりました」という言い方があります。結婚するって自分が決めたことなのに、なぜか「なりました」と表現する。これは「自ら」に「おのずから」とルビを振るのと同じです。運命や縁を感じるから「おのずから」結婚するということになりましたという日本語表現になる。これは「みずから」をあんまり主張するのは恥ずかしい、ダサい、美しくないと感じる精神性があるからでしょう。だから「お茶が入りました」っていうんですよ。勝手に入ったわけじゃないんだけど。

前野 隆司『人生が変わる! 無意識の整え方 – 身体も心も運命もなぜかうまく動きだす30の習慣』からの引用です。本書は慶應義塾大学大学院教授の著者による対談集。〈稲葉〉とは東京大学医学部附属病院の医師、稲葉俊郎氏。氏がかつて師事した竹内 整一氏の言葉を照会している部分なので、孫引きということになります。

そういうものの見方もあるのかと、ハッとさせられました。以前は、「わたしたち結婚することになりました」のような自主性のない言葉を廃していくことが意思決定力を高めていくコツのように感じていました。しかし、世の中はそれほど単純ではありません。100%「自ら(みずから)」なせるようなことはほとんどない。自ら(みずから)の行動に加えて、さまざまな偶発的な条件が整って、自ずから(おのずから)結果が生起する。そんな「因縁」を実感することが多くなりました。竹内氏の著作『「おのずから」と「みずから」―日本思想の基層』にも目を通して、得た学びをまたこのノートで共有させてもらおうと思います。

決まり文句の知恵

因習や惰性に過ぎないと思っていた言葉が、実は深い知恵の産物なのかもしれない。そんな例がないかと考えているうちに「いつもお世話になっております」という言葉が浮かんできました。

お目にかかったことがない方から「いつもお世話になっております」というメールをいただくことがあります。いかにもテンプレートを使われているみたいでモヤッとした気持ちになっていたのですが、もしかしたら「(いい仕事で世の中に貢献してくれてありがとう。超間接的にですが、)いつもお世話になっております。」言ってくれていると考えてみると、不思議と腹が立たなくなるように思います。

メールで言えばもう一つ「お疲れ様です」という言葉も、ときどきモヤッとした気持ちにさせられます。特に朝一番でいただくメールが「お疲れ様です」で始まっていると、「疲」の字にちょっとげんなりしてしまい、「いえ、疲れていませんよ」と言いたくなってしまいます。これについては、修行不足でよい解釈が見つかりません。心の平静を保つためにも、よい解釈をひねってみようと思います。