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コンセプトノート

079. 筋の通ったわがまま

先日読んだ『成功して不幸になる人びと』という本の中に、「筋の通ったわがまま」という言葉がありました。

「不幸せな成功」状態(詳しくは書評を)から脱出するために生活を変えたい人、組織を変えたいリーダーに対し、自発的な変化を促す章(第5章「捨てる」ことを学ぶ)に出てくる言葉です。

まず、自発的に変化を起こすことの難しさを、『ビジネスマン価値逆転の時代』からこのように引用しています。

「たいていの人は変化を好まないので、危機と断絶の事態を迎えて初めて、心ならずも変化と正面から向き合う」。この種の変化も成果を生むことはあるが、むしろ変化を自ら手がけて管理していくほうがよいそうだ。

「自ら変化を手がけて管理していく」とは、「疑問 → 仮説 → 試行 → 反省 → 疑問 …」という学習のサイクルを回し続けること。断絶とも形容できるほど大きな変化が起き得る時代にあっては、常に学び、常に進歩していく姿勢が大きな強みになると論じています。

そして変化を起こす、つまり何かを学び直すにあたっては「筋の通ったわがまま」が必要である、としています。

具体的に言うなら、(1)自分自身と自分の将来に責任を持つ、(2)自分の望む将来像を正確に把握する、(3)自分のビジョンを実現したいと望み、実現してみせるという自信を持つという三点を満たすことである。

著者自身、ビジネスの世界から教育界に転じていますが、そのときの決断の経緯をこのように語っています。ここも引用しておきましょう。

これは長期的な総合計画に基づいた転職ではなく、自分にとって非常に需要だと思えた問題に答えるひとつの試みだった。つまり、仕事でわくわくしたときの気持ちを取り戻すにはどうしたらよいのかを知りたくて、いろいろな答えを先入観を持たずに探した結果、大学教育という道が浮かび上がってきたのである。

 私の転職は家族や友人にも影響を及ぼしたが、幸いなことに、彼らの支援を得ることができた。こんなわがままを「筋の通った」ものにできるかどうかは、自分自身はもとより、周囲の人びとにも受け入れられる自己を形成できるか否かにかかっている。責任あるわがままを追求して得られる成果は、本人のみならず、その周囲にも及ぶのだ。

「わがままに筋を通す」ことは、単に自分が納得するだけでなく、周囲の人びとに理解してもらうという意味をも含んでいます。

「降りるに降りられない」
と思い込んでいるバスから降りて、自分の道を行く。
お仕着せの「成功」でない判断基準に照らせば、
この道を行ってみることがよい選択だという確信を持って。
「筋の通ったわがまま」は、そんなときに思い出したい言葉です。

もう一度引用してしまいましょう。
 (1)自分自身と自分の将来に責任を持つ
 (2)自分の望む将来像を正確に把握する
 (3)自分のビジョンを実現したいと望み、実現してみせるという自信を持つ

しかしその選択も、そのビジョンも、絶え間ない学びのサイクルにおけるひとつのステップに過ぎません。