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コンセプトノート

487. 百考・十行・一効・〇後

このノートを含むサイトの新着情報を、毎週金曜日にメールニュースとして配信しています。リンク集と転載コンテンツだけではつまらないので、編集後記のようなものを最後に添えています。「検索エンジンに拾われない」というメールならではの気楽さに甘えて、もっぱら子どものことを書いてきました。先日、それに目を留めてくださっていたmakiさんからインタビューのお誘いを受け、今週記事になりました。

問われるままにしゃべり散らかしたことがいっぱしの「親論」のように編集されています。さすがプロのジャーナリスト、とても思慮深い親のように仕上げてくださいました。

ある人から「いろいろ考えてるんだねー」という反応をもらいました。実際には、誰でもいろいろ考えています。優れたインタビュアーがそこをうまく引き出して編集するならば、親の数だけの「親論」や上司の数だけの「上司論」が、顕れることでしょう。

ただ残念ながら、考えたとおりに行動できるわけではありません。親としてこうありたいという考えを述べれば述べるほど理想論に近づき、現実の行動との乖離が大きくなっていきます。編集していただいた原稿を読んで「あちゃー、かっこつけすぎた」と落ち込まざるを得ませんでした。

それでも、考えもつかないことは行動にも移せません。語った百の考えのうち、実際に行動できているのが十しかないのでは言行不一致のそしりを免れませんが、自分の「打率」としてはこのくらいを甘受しなければならないのかなとも思っています。

その十の行動も、いわば親の自己満足です。相手の気持ちになりきれるわけでも、将来を見通せるわけでもありません。一つくらいは効く、つまり将来子供に感謝してもらえる行動をしていると望みたいところですが、十のうちどの一がそれに当たるのかはわかりません。それでも、行動しなければ何らかの効果を期待することもできません。

追うべきステップはもう一つあります。期待する「効果」がなんであれ、その効果が出なかったら子育ては失敗、つまり子供は失敗作なのか。

そんなはずはありません。

ここを前提とするならば、つまりどのような結果も受けとめると覚悟するならば、もっとよい結果があり得たと後悔しないよう、その場・そのときにできる最善は尽くしたと自分を納得させていきたい。そう考えています。

……というのもまた理想論で、実際にはいつも最善を尽くしているとは思えないのですが、話が循環するのでここまで。