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コンセプトノート

285. 災厄という恵み

人々に自分たちの人生を形作ってきた上で最も重要なことは何かと質問すると、大恐慌時代を生き延びてきたこと、家族の一員が亡くなったこと、あるいは大事故に巻き込まれて危うく九死に一生を得たことなどがもたらす恩恵の効果について話してくれる。
『パラドックス系―行動心理学による新ビジネス発想法』

最も起きてほしくなかったことが、その人の人生にとってもっとも重要なことになる。なんという逆説でしょうか。

そういえば田坂広志さんは、優れた経営者には投獄・戦争・大病という生きるか死ぬかの経験をされている方が少なくないと語っておられました。いずれも望んでできる経験ではないし、望む人自体いない経験です。しかし、その経験は、くぐり抜けた人しか発揮し得ない力――漠然と望むだけの人には決して手に入れられない力――をその人に与える。これもまた逆説です。

災厄は、現状の制約やしがらみを壊し、本当に重要なことに焦点を合わせるきっかけになります。災厄は、自分が恵まれていたことに気がつくきっかけにもなります。

では災厄ウェルカムと考えるべきなのか?もちろん、そうではありません。そのように前向きに想定できることがらは、おそらく災厄とは言わないと思います。冒頭で引用した『パラドックス系』の著者リチャード・ファースンは「避けようと試みるしかない」と言い、それ以上のアドバイスを賢明にも避けています。

本当のところ、個人が災厄によっていかに成長し、また会社もいかに繁栄していくかをめぐり、昔ながらの災厄の持つ鍛練効果に関しては充分には分かっていない。いずれにせよ、ここにもう一つのパラドックスが横たわっている。経営においては、組織に最も恩恵を与えうる危難自体を避けようと試みる以外には、ほかに選択肢はないのだから。