「学校でいじめられて、とてもつらい……」と泣きついた私を、祖父は近所の丘に立つ大木まで連れていき、一緒に登りはじめた。
十メートル登ったあたりで祖父が切り出した。「周りを見てごらん」。顔を上げると広大な景色に学校がぽつんと建っていた。「視点を変えれば問題も変化する。学校は大切だが、すべてじゃない」。木の上の世界はとても大きかった。
―ジョン・ギャスライト、「海渡り”本立て”の国へ」、日本経済新聞(夕刊) 2007年12月7日
学校は大切だが、すべてじゃない。
会社は大切だが、すべてじゃない。
仕事は大切だが、すべてじゃない。
お金は大切だが、すべてじゃない。
家族は大切だが、すべてじゃない。
自分は大切だが、すべてじゃない。
過激な言葉もありますが、「何かに100パーセント依存することはできないし、する必要もない」という考えは、精神の健康のためによさそうだと感じました。
これは、裏を返してみると分かりますね。
会社がすべてになってしまったら、法や倫理の壁が薄く見えてしまいます。
子どもがすべてになってしまったら、子どもにとってはいい迷惑です。
自分がすべてになってしまったら、結局は社会で生かされません。