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コンセプトノート

243. Fruitful Monotony(実りある単調さ)

Fruitful Monotony(実りある単調さ)

 大きなプロジェクト、栄光、合格、すべてに共通していることは、その裏側には耐えがたいような単調さが存在しています。fruitful monotony(実りある単調さ)の先に成功があるのです。

『「依存する人」を「変化を起こす人」にどう育てるか』(p152)

Fruitful Monotony(実りある単調さ)という言葉にハッとしました。検索してみるとバートランド・ラッセル(Bertrand Russell)の『幸福論』にある言葉のようです。原文と対訳を掲載してくださっている方のページから前後を引用します。

多すぎる旅行やあまりにも種々雑多な印象は、幼い子供たちにとってよくないし、成長するにつれて、実りある単調さに耐えることができなくしてしまう。

ラッセル『幸福論』第1部「不幸の原因」:第4章「退屈と興奮」n.4-6

似た言葉はいろいろあります。継続は力なり、量が質を生む、凡事徹底、習慣が人を作る、成功するまであきらめない……。Fruitful Monotony(実りある単調さ)には、逆説的な響きがあって印象に残りますね。

何がFruitfulで何がそうでないのか

単調さイコール実りではないと、ラッセルは言います。上記の引用の続きの部分から:

 私は、単調さそのものに独自のメリットがあると主張しているわけではない。私はただ、ある種の良いものは、ある程度の単調さのあるところでなければ可能ではない、と言っているにすぎない。

「依存する人」を「変化を起こす人」にどう育てるか』の著者内田 和俊も、同じことを言っています。冒頭の引用文の一つ前の文章から。

 私は、「単調さ」そのものに価値があると言いたいわけではありません。しかし、何か大きなことを成し遂げるためには、必ずそこにある種の単調さが存在するということは事実です。

では、実りある単調さとそうでない単調さを見分けることは可能なのか。単調さの「その先」に何かの成果を期待できることが、条件の一つでしょう。どこにも行き着かないと分かっている単調さは、少なくともわたしには、耐えがたい。

しかし、期待だけで単調さに立ち向かうべきなのかというと、そうではないと思います。単調さに耐えたからといって、必ず報われるとは限りません。期待だけを頼りに単調さに耐え、その結果が失敗や敗北だったとしたら、それまでの道のりには意味が無くなってしまうのでしょうか。

それではあまりにつまらないので、敢えて「単調さそのものにも価値がある」と言ってみたいと思います。

正確には「単調さそのものを楽しめる単調さを選べ」ということです。

仕事は大部分単調ですから、こう言えることになります。
「仕事で大きなことを成し遂げたければ、楽しめることを仕事にしろ。それができなくても、今の仕事を楽しめ」