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コンセプトノート

617. 叫ぶ人は信用できない(信用できる人を見きわめる)

叫ぶ人は信用できない

目次を繰っていたら「叫ぶ人は信用できない」という言葉が目に飛び込んできました。福島第一原発事故の直後から冷静な分析を続けていた物理学者の早野 龍五氏と糸井 重里氏との対談『知ろうとすること。』(新潮社、2014年)の見出しです。本文で、糸井氏はこう述べています。

本当に問題を解決したいと思ったときには、やっぱりヒステリックに騒いだらダメだとぼくは思うんです。「大変だぞ!」「死んじゃうぞ!」って、でかい声を出している人は、何か落ち着いて説明できない不利なことがあるのに、それはひとまず置いといて、とりあえず大声出せばみんなが来ると思ってやっているんじゃないかと思う。だから、どんなにいい人でも、叫びながら言ってることは注意深く聞かなくちゃいけない。

「叫ぶ人は信用できない」。氏のことば選びの巧みさには、ほんとうに感心させられます。

叫び、つまり相手の感情を動かそうとする手口について、糸井氏は「もうひとつのあとがき」で、震災の1.5ヶ月後に書いた自分のツイートを引用しています。

もちろん、その意見を支える根拠のたしかさを自分なりにチェックすることは、前提に含まれているでしょう。そのうえで、同じくらいたしからしいが方向性の異なる意見からどれを信用するか。その条件だと理解しています。

最初の4つは、心理操作法のリストのようです。劣情を刺激する、脅す、正義にことよせる、怒らせる。そういうアプローチで迫ってくる話は『注意深く聞かなくちゃいけない』。最後のユーモアも、妙味のある基準です。「息苦しいのは嫌なんですと言っておきたかった」という解説が添えられています。

事実も、その事実を適切に解釈するだけの知識も、十分にない。その状態で、何をどの程度信じるか。そういう難しい選択を迫られていたのが震災直後だったと、思いかえしました。

根拠そのものの確かさがわからない状況で、話者に対する信用は何から生じるのか。それを検討するための思考実験を考案してみました。

信用できる人を見きわめる:思考実験1

これから示すテーマについて、賛成派のAと反対派のBの二人が10分間議論します。それを聞き、どちらを信じるかを決めてください。

  • テーマ
    • 「蜘蛛の捕食行動におけるルービン=ゴンザロ仮説(Rubin=Gonzalo hypothesis)は成立するか否か」
  • 条件
    • 議論の様子は撮影され、あなたは別室からそれを見ます(つまりあなたの声、表情、しぐさなどは二人には伝わりません)。
    • 二人ともそれを知っているので、あなたを説得すべくカメラに話しかけることはあるでしょう。
    • あなたがテーマに詳しくないこと、あなたの説得が目的であることは両者とも了解しています。
    • 全員、ネットその他の手段による情報収集は禁じられています。
    • あなたが節足動物(あるいは推理小説)に深い造詣を有するなどの理由で予断を持ってしまいそうな場合、興味も知識もない未知のテーマを適当に選んでください。

内容についての知識を持っていない状況では、糸井氏のリストが魅力的であることがわかります。自分でも考えてみます。

まずは論理性。双方の挙げる根拠の確かさはわからないのが前提です。しかし確かだと仮定し、それらの根拠が主張を支えるに十分なものであるかどうかは、その人の意見を聞いていれば判断がつくでしょう。相手への質問でも推し量れるはずです。次に開放性を挙げたいと思います。相手の意見に耳を傾け、深く理解する姿勢を示しているかということです。もう一つは誠実さです。自説を押し通すためでなく、より適切な主張を引き出すために議論しているかということです。開放性と誠実さがあれば、これまでも異論と比較しつつ熟慮して意見を形成してきたのだろうと思えます。

以上をまとめておきましょう。

  1. 論理性:主張と根拠の関係はたしかか
  2. 開放性:自分と異なる意見を理解しようという姿勢があるか
  3. 誠実さ:正しい主張の成立を求めて議論をしているか

信用できる人を見きわめる:思考実験2

この枠組みの確かさを検証するため、思考実験に『一回だけ質問できる』というルールを追加してみます。このひねりによって、自分のポイントがこの枠組みに含まれているか、また自分はどのポイントを重視しているのかがわかります。

ぱっと思いつくものとして「自説にどれくらい自信がありますか?」、極端にいえば「命を賭けられますか?」というたぐいの質問があります。たとえば、ある地域の放射線量は人が住める程度には低いという意見に対して、「ではあなた自身が住めますか?」という質問がなされます。要するに話者の覚悟を問うているわけです。自説を信じているならYesと答えるでしょう。しかし狂信者だってYesと答えるはず。そう考えると、たった1問しか許されていない状況では最善の質問とはいえなさそうです。

信用できる人を見きわめるためにどんな質問をすべきか、あれこれ考えてみました。主張の論理性をたしかめる質問はよくあるので省略し、他の方面を考えてみます。

たとえば「手にしている事実が同じなのに、なぜ相手はあなたと逆の主張をしていると考えますか?」という質問。これは相手の論理が理解できていないと答えられません。開放性を測る質問といえるでしょう。

あるいは「どんな条件が整えば、相手の説に賛成しますか?」という質問。反証可能性を検討でき、自説を曲げてでも正しさを求める姿勢がないと答えられません。誠実さを測る質問といえるでしょう。

そう考えると、論理性・開放性・誠実さの枠組みは悪くなさそうです。TVの討論番組でも観ながら検証してみようと思います。