昨日オフィスに遊びに来てくださったMさん。民間企業の立場から高校教育の充実の支援を、もう9年間も続けておられるとのことでした。高校生の進路選択を支援するようなサイトも立ち上げられていらっしゃるのですが、ご自身はWebサイトを見るのは苦手とのこと。
「WordやExcelはいいんです。ぜんぶ自分で動かしているという感じがするじゃないですか。でもWebサイトだと、長い時間やってると酔ったような気分になってくるんですよね」
「それって車と一緒ですね。自分で運転すると酔わないけど、乗せてもらうと酔う(笑)」
自分でコントロールしている感覚を持てないまま、コンテキスト(文脈)を失った情報の断片が大量に流れ込む。そういう情報に揺さぶられながら目を凝らしているうちに酔ってしまう。これはよく分かりますね。だれか「ネット酔い」なるものの研究をしてないかしら。
これはWebサイト毎にナビゲーションスタイルが違うためだと思うのですが、いろんなWebサイトをめぐりながら酔わないためにはどうすればいいか。ひとつは、車の運転に例えれば「遠くを見る」ことでしょうね。
暇でぶらぶらとネットサーフィンをする場合は別ですよ。そうでなくて、何か目的を持って探し物をしているとしたら、どういう情報を求めているのかをなるべく意識の前の方に持ってくる。広告やちょっと面白そうな記事は路傍の電柱のごとく視界の端に流してしまう。
さて、Webサイトに限らず、我々を巡る状況には似たものがあります。日本崩壊説とオトク情報とおいしい話のごった煮のなかで暮らしているうちに、情報酔いになってしまう。
若くして億万長者になった後輩、能力があるのに人員削減の波に呑まれた先輩、転職していった同期。自分なりに「遠くを見る」ことがなければ、人生酔いになっても不思議ではありません。
でもおかしいですね。自分の人生の運転手であるはずの自分が酔ってしまうなんて。
# 人生論や人生観ばかり語って前に進まないという意味での「人生酔い」というのもあるような気がします が、それはまた別の機会に。