人生の最後になって打ち明ける気になった秘密がこれとは、おもしろいものだ。
― ランディ・パウシュ、ジェフリー・ザスロー『最後の授業 ぼくの命があるうちに』
パウシュ氏は、アメリカの名門カーネギーメロン大学の教授です。終身在職権を得て、文字通り一生を約束されながら、ガンのために46歳の若さで「最後の講義」を行わざるを得なくなりました。講義の模様はインターネットで公開されているので、ご覧になった方も少なくないと思います。冒頭で引用したのは、その講義の後に氏が出版した本の一節です。
「人生の最後になって打ち明ける気になった秘密」というのは、氏がカーネギーメロン大学に不合格だったこと。いちど不合格を通知されながら、担当教授の強い推薦と本人の粘りで、入学を許されたそうです。そんなことが可能なのかと、びっくりするような話です。氏はこの逆転劇を学生にも同僚にも一度も話さなかったとのこと。最後の講義の日までは。
なぜか。氏はこのように自問しています。
僕は何を怖れていたのだろう。彼らの仲間になれるほど優秀ではなかったと、思われることを心配したのか。バカにされるだろうと思ったのだろうか。
わかるような気もします。教授を務めている当の大学に入学できなかったなんて、不名誉なことには違いないですからね。
しかし、話す決断をしてくれてよかった、と思います。このエピソードがなければ「結局は優秀に生まれついた人の話だ」と思って読み終えていたかもしれません。この失敗談(と、それに続く逆転劇)にこそ氏の人間性がもっとも強く表れていると感じましたし、大いなる勇気をもらった気がします。
だからといって何でもかんでも語りましょう、と言いたいわけではありません。ここで言いたいのは、秘密には自分の意志決定ロジックの偏り具合を知るヒントがあるのではないかということです。
秘密にしておきたいと思う以上、そこには何かに対する怖れがあるわけです。そして何を怖れるかは人によって違います。自分ならば秘密にしておきたいような失敗談をサラッと語る人がいて、驚いたりしますよね。「なぜそれを秘密にしておきたいのか?」と考えてみることは、自分が無意識のうちに遠ざけがちな何かを知るうえで有益なエクササイズではないでしょうか。ちょっと疲れそうですけど。
ところで、パウシュ氏がこの打ち明け話をしたのは「決してあきらめない」ことの大事さを伝えるためでした。氏はこう結んでいます。
この話はもっと前に学生たちにするべきだった。どうしてもほしいものがあるときは、決してあきらめてはいけない。助けてくれる人がいるなら、力を借りればいい。
壁がそこにあるのは、理由があるからだ。そして壁を乗り越えたあとは ――たとえだれかに投げ上げてもらったのだとしても―― 自分の経験を話せば、きっとだれかの役に立つ。