「二兎を追う者は一兎をも得ず」(同時に二つの事をしようとすれば、両方とも成功しない ― 広辞苑)という諺は、漢文調ですが中国ではなくローマの諺だそうです。そして「三兎を追う者は猪を得る」と続くのはご存じでしょうか。
これは、ある村の代表として狩りをしていた二人の若者の話です。一人は巣穴の近くにいた二羽の兎を両手で同時に捕らえようとして、失敗しました。
それを見ていたもう一人の若者は、考えました。すばしこい彼が失敗しているのだから、自分にはとても二羽の兎を捕らえることはできない。そもそも、二羽の兎では村のみんなのお腹を満たすには足りない。
どうにかして三兎以上を捕らえたい。彼はそう考えることで、兎を追うのではなく待つ方へと発想を転換しました。罠の研究を始めたのです。
彼は観察によって、動物が特定の道を好んで通ることを知り、そこに罠をしかけました。しかし、兎は用心深い動物です。一羽が罠に掛かると、その通り道はすぐに放棄されてしまいます。学習能力も意外に高く、同じタイプの罠を長く使うこともできません。
二兎を追って懲りた若者の方は、堅実に一羽ずつ兎を捕らえて、村の暮らしをなんとか支えてくれています。罠なんか仕掛けて楽をしようとしたってダメさ、という陰口も聞こえてきます。
彼は、焦りと疲れと恥ずかしさの中でまた考えました。自分は何のためにこれをしているのか。本当に三羽の兎が欲しいのか。
違う。問うべきは「二兎でなく三兎を掴まえるにはどうしたらよいか?」ではなく、「十分な生活の糧を得るにはどうしたらよいか?」なのだ。そう気づいた彼は、これまで培ってきた罠の技術が転用できそうな大型の動物を考えました。
彼は猪に狙いを定めます。猪は獰猛なうえに神出鬼没で、村では狩りの対象とは見なされていませんでした。兎もろくに捕れないのに今度は猪かと、村人たちの視線はますます冷ややかになっていきます。
しかし彼は自分を信じる根拠を持っていました。兎での経験から、動物をよく観察し、常に工夫を続けていけば、最初の一頭を出し抜くことはできると、確信していました。そして猪は、一頭ずつ捕まえればよいのです。
やはり時間は掛かりましたが、努力が報われる日が来ました。彼は最初の獲物を、これまで黙々と兎を捕まえてくれていた若者に捧げ、狩りの技術を惜しみなく分け与えました。
……長々と、作り話を書いてしまいました。この諺がローマの諺だというのは本当です(※)が、「三兎を追う者は猪を得る」という諺はありません。信じて読んでくださった方にはお詫び申し上げます。
お詫びついでに、この話は次回に続きます。長老になった彼が若者の相談に応じる形で、自分が伝説の狩人となった理由を語ります。
(※)『西洋語源物語』に記載があるそうです。一応取り寄せて確認してみます。そして『中国古典名言事典』では、この言葉は見つかりませんでした。