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コンセプトノート

011. 一生勉強

2002年1月のHotWiredに、『21世紀の労働形態はどうなるか』と題されたニュースが載っています。

 アドラー氏は、労働者は自分で自分のキャリアパスを設計しなければならないとの認識を持つようになるため、継続的な職業訓練がこれまで以上に重要になるだろうと述べた。これからの学習は、「『クラス』とよばれるようなセット形式で提供されるもの」ではなく、「それが必要になったときに提供されるもの」へと変貌するだろうと、アドラー氏は予測した。そのとき学習の提供に利用されるのは、その人が過去に習得したものを記録しつづける自動プログラムだ。

「学ぶ」の究極は、1999年の映画「マトリックス」に見ることが出来ます。これは(たしか)2050年くらいの話なのですが、格闘技でもヘリの操縦でも、およそ「スキル」と呼べそうなものは脳に直接送り込んでしまえるので、「学習」というのはまさに「それが必要になったときに提供される」ものになっています。

そういう便利な技術が確立されるまでは自分で脳味噌に焼き付けていかなければなりませんが、いわゆるeラーニング市場の急速な拡大を目の当たりにしていると、「頭に知識を入れる」ことは今後格段に容易になっていくことは間違いないでしょう。あるいは頭の中に焼き付けておかなくても済むことが多くなってくるでしょう(例えば私がこの瞬間使っている漢字変換システム。これが無ければ、例えアイディアがあってもこれほど高速に文章を吐き出すことはできません。今や漢字は識別さえできれば実際に書けなくても用は足りるようになってきています)。

学習の選択肢は広がっても個人の持ち時間は有限ですから、戦略を持って学んでいくことがますます重要になるわけで、それが上で言っている「労働者は自分で自分のキャリアパスを設計しなければならないとの認識を持つようになる」という文章の意味でしょう(ちなみにアドラー氏というのは米国「未来研究所」の所長です)。

社会人がキャリアパスを設計するときに頼りにするものは何でしょう。やはり業界知識(商慣習の理解など)・業務知識・人脈など、これまで築いてきた資産を活かせることが前提となると思いますが、上記の仮定に従えば、知識によって差別化を図るのであれば生半可な知識では意味がなくなってくるということになります。ナレッジワーカーには厳しくも楽しい時代になるでしょう。少なくとも嫌々やっていたのでは倦まずたゆまず学習を続けていくことは出来ません。自分はなぜこの「職」(profession)を選んだのか、この学習を経ることでどんな自己表現が可能になるのか、職と自分との関係について一度整理しておきたいものです。