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コンセプトノート

393. ダ・ヴィンチは下手な絵が描けない(作品づくりとしての仕事)

ダ・ヴィンチは下手な絵が描けない

芸術家のような表現者は『自分の魂にある材料を使わないかぎり効果をあげることはできない』。イギリスの作家チェスタトンは、作品の主人公にそのように語らせ、わかりやすい例を挙げています(1)

レオナルド・ダ・ヴィンチは、まるで絵の描けない人のように絵を描くことができないでしょう。そう努めてみても、結果は弱々しいものの力強いパロディーになるに決まっている。

チェスタトンは、これを『一種の誠実さのため』であるとしています。

こういった心理学的なメカニズムは、誰しも持っているのではないでしょうか。たとえば、自分が大犯罪者だったらどんな罪を犯すかを延べあうというウソ自慢大会に参加するとしてみましょう。何でも言っていいとはいえ、自分の道徳観や美意識にあからさまに反するウソは付けないし、そもそも思いつけないでしょう。結果として「○○さんらしい犯罪だね」と言われるのではないかと思います。

われわれは仕事でよく「差別化」という言葉を使います。他社と違う価値をもたらそうということです。しかし芸術家は「いままで画壇でライバルと言われてきたAの画風はこうシフトしてきたから、自分はこっちでいこう」といった差別化戦略は使わないですよね。

芸術家の活動の目的は、人と違う作品を作ることではなく、『自分の魂にある材料』を引き出すこと。その結果が、自分にしか作れない作品(=人と違う作品)となって現れるのでしょう(身近に芸術家がいないので確認ができませんが、たぶん)。

よい「作品」を残す

「差別化を目的とした差別化戦略」のためには、他者(他者)の観察と分析が必要です。しかし「結果として現れる違いを期待する差別化戦略」のためには、自分(自社)の観察と信念が必要になります。仮に、前者を目的的差別化戦略、後者を結果的差別化戦略と名付けましょう。

よい仕事はPassion(情熱)とAbility(能力)とValue(他者から認められる価値)の交点に生まれるというのが私の持論なので、これになぞらえて考えてみます。とにかく(Passionにかなう範囲で)Valueの創造を目的として、そのためのAbilityを用意するのが目的的差別化戦略、Passionを信じてAbilityを磨けば、いつかValueが付いてくると考えるのが結果的差別化戦略という感じです。

どちらか一方だけが必要というよりは、両方が必要なのでしょうね。個人でいえば職種、企業でいえば事業立地(誰に何を売るか)を考えるといったマクロな観点では目的的差別化戦略で選択をする。しかし一度フィールドを定めたら、一つひとつの仕事では結果的差別化戦略でいく。つまり他者(他社)を気にしない。そういったアプローチがうまく機能するように思えます。

さて、芸術作品ではないにせよ、われわれの仕事のアウトプットも「表現」です。「表現」である以上、依頼を受けてイヤイヤした仕事であっても、顧客の注文通りに仕上げたつもりの仕事であっても、そこには作り手の自己が、大げさにいえば魂が、投影されてしまいます。表現者として仕事に取り組むとき、その成果は「作品」になるのです(2)。であれば、よい作品を残したい、できれば遺したい、と思います。


(1) G.K.チェスタトン『翼ある剣』より。『ブラウン神父の不信』(創元推理文庫)所収。
(2) 作品づくりとして仕事をとらえるという発想は、たとえば田坂 広志さんの著作にあります。