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コンセプトノート

428. コンセプトノート10年のこれから

前々回前回と、このコーナー(コンセプトノート)に10年間で投稿した426本のノートを振り返り、まとめ記事を作りました。今回は、次の10年間に向けて、現時点で追いかけてみたいテーマをまとめました。

意思決定の「瞬発力」を高める

当サイトでは、一つひとつの選択を意思決定、それらを積み重ねながら目的を追いかけていく(ことで、意志そのものを定めようとする)プロセスを意志決定というように使い分けています。このセクションは前者の話です。

仕事や生活では「今ここで何らかの決定をしなければならない」という状況があります。『コンセプトノート10年のまとめ(1)』で、そういう現場性の高い意思決定における直感や情動の役割についてのノートを紹介しましたが、いま興味があるのは、もっとミクロなサイズの話です。

たとえば誰かに何かを聞かれただけで、たちまち「今ここで何らかの決定をしなければならない」状況は発生するわけです。そしてそういった小さな応答の積み重ねが、われわれの仕事や生活をかたちづくっています。そういったリアルタイム性の高い応答を、われわれはどれだけ「善い」ものにできるのでしょうか。

すでに『「一瞬」で組織を変える話 (1) (2)(3)』(2012/6)や『「近道」的思考を磨く』(2012/6)、あるいは『なぜ○戒は「しないことリスト」なのか』(2010/11)と言ったノートでそのテーマを追いかけ始めていますが、まだまだ学ぶべきことはたくさんありそうです。

意志(意思)決定の「身体性」を明らかにする

これは先のポイントとつながっています。意思決定は脳の仕事ですが、それには情動の寄与が欠かせず、その情動の源は脳だけではありません。神経学者ダマシオの『デカルトの誤り』の言葉を借りれば「有機体」全体が情動の発生に寄与しています。情動はわれわれの五感が受け取った刺激に応じて生起しますし、また過去の思い出といった意識からも生じます。

つまりよい意思決定を心がけるならば、頭だけでなく五感からのシグナルにも耳を傾けるべきということです。『EQを高める六識日記』は、そのテーマに向けての試論でした。

六識は仏教用語です。ダマシオは感情を五感と同じレベルの感覚として定義しています。これは釈迦が2500年前に提唱していた考えでもありました。ダマシオは低レベルの感覚センサーからの信号が情動として生起し、それが感情として編集されて意識に届き、われわれの思考の一部を形成するモデルを描きました。その道筋は、釈迦の五蘊という概念にかなり正確に呼応しています。

釈迦は瞑想を通じてそのような理解を持つに至りました。その成果をうまくすくい上げて、われわれの意思決定に身体が関わっていることを実感したり、 六識に耳を傾けることで意思決定をよりよいものにできないかという興味を持っています。

言葉と、言葉が指すもの

人間は、すべてのことを言葉にして考えているわけではありません。モヤモヤした信念・願望・教訓・知識を言葉に落とすことは難しくも面白い作業であること、言葉化された概念はまた自分に影響を与えることについて、『リストのチカラ』で論じました。そのとき扱った言葉は数ヵ条の箇条書きでしたが、いま興味があるのは「単語」レベルの短い言葉です。

2年ほど前に、自社研修のために冊子をつくりました。そのとき、あるアイディアをまとめることは、主要な単語と、それらの関係を定義づけることにほかならないことに気がつきました。10個程度の言葉(問題、目的、将来像、価値観、目標、分析、課題、解決 … )とそれらの関係性をクリアに定義するのはなかなか骨が折れる作業で、意外にいい加減に言葉を使っていたことに気づかされました。しかし一度その作業が済んでしまうと頭がスッキリし、冊子にしたテーマについては思考の速度も質も上がった、つまり「瞬発力」がついた要に感じられたのです。

哲学者アランが『定義集』で試みたような、自分なりの言葉の定義集を作ってみるというアイディアに惹かれています。次の10年で自分自身が挑戦してみたいことでもありますし、意思決定力向上のためのトレーニングに仕立ててみたいという思いもあります。