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コンセプトノート

493. アトラス症候群、あるいはそれを背負う理由

【背負い込み過ぎる人】

「あなたには、自分のことは後回しにしても問題解決に当たろうとする、責任感の強い面があります。そしてときどき、そんな重荷を自分に課してしまう自分がイヤになってしまいます」などと言われると、思わず頷いてしまいませんか。

ある程度は誰にでも当てはまる心理を、自尊心をくすぐる魅力的な表現でぼかして伝える、“よく当たる”占いの言葉にありそうです。

以前読んだ本で、こういった「つい背負い込んでしまう」心理が「アトラス症候群」と命名されていて印象的だったので、メモを取っておきました。心理的恐喝から逃れるための解説書『ブラックメール―他人に心をあやつられない方法』からの引用です。

アトラス症候群にかかった人は、問題を解決できるのは自分しかいないと思いこみ、自分のことはあとまわしにしても問題解決に当たろうとする。オリンポスの神々に反抗した罪で、一生天空をその肩にになうことを運命づけられたギリシャ神話の巨人アトラスに似て、彼らは自分以外のすべての人々の気持ちや行動を「なおす」という重荷を自分に課し、押しつぶされそうになっている。

なるほど、ではわたしも仕事や生活で背負っているもの少し荷を下ろさせてもらおうかな……と考えてみます。すると、たちまち「それは無責任だろう」という思いがわき上がってきます。これは、すでに最低限のものしか背負っていないことからくる正当な感覚なのか、あるいはアトラス症候群なのか。判別が難しいものです。

経験を振り返ってみても、アトラス症候群とは無縁そうに思っていた人が「あれこれ背負い込んじゃって大変」と嘆くのを聞いたり、逆に多くを背負い込んでいるように見える人が元気いっぱいだったりします。

冒頭の作文では「責任感」という言葉を使いました。しかし経験を振り返って具体例を思い浮かべてみると、「責任感の強い人」がすべてアトラス症候群患者(つい背負い込んでしまう人)ではありません。両者の違いはどこにあるのでしょうか。あるいは、誰しも少しはアトラス症候群の要素を持っているとすると、いま背負っているものが正しいものかどうかを、どうやって識別すればよいのでしょうか。

【何がそれを背負わせているのか】

自分のことですから自己観察が必要です。その荷を下ろしたと考えたときにどんな情動がわき上がるかを観察したり、いったん下ろした荷を自発的に背負いたいと思えるかを考えてみるのがよいように思えます。

では何をどう観察すればよいか。引用文をもう一度読み直してみると「押しつぶされる」という受動的な表現が気になります。アトラス症候群では、自分以外の何かに背負わされている感じがあるわけです。

この本では「心理的恐喝の3つの武器(FOG)」が定義されています。「攻め込まれたときのSOS」というノートで紹介しましたが、再掲しましょう。

  • 恐怖心 (Fear)
  • 義務感 (Obligation)
  • 罪悪感 (Guilt)

心理的恐喝の3つの武器(FOG)*ListFreak

重荷に感じている何かを下ろそうと考えるとき、これらの情動が浮かんでくるならば、それは自分以外の何かに背負わされている荷なのかもしれません。他者でなく自分以外の何かと書いているのは、歴史や伝統など人以外のものもFOGをもたらすと思われるからです。

次に、FOGを逆さに見てみましょう。FOGチェックに加えてこのテストに合格すれば、アトラス症候群ではなく自発的に荷を背負っているのだと言えるリストを作ってみたいと思います。題して「人を自発的な行動に駆り立てるもの」。

  • 喜び (Joy) ― それ自体が楽しいか?
  • 期待 (Expectation) ― それが将来の喜びや充足につながると思えるか?
  • 意味 (Meaning) ― それは善いこと、意味のあることと思えるか?

FOGのように覚えやすい頭字語を作りたくてずいぶんがんばったのですが、単語にはなりませんでした。それはさておき、一つずつ説明します。

恐怖心 (Fear)の反対は、シンプルに喜び (Joy)でいいでしょう。以前、毎朝オフィスを掃除する人がいました。やらないと怒られるからでも、やると誉めてもらえるからでもなく、ただきれいにするのが好きだからということでした。このように、喜びには理由が要りません。ただし、善悪の区別もありません。社会的には悪とされていることでも、個人的には喜びを感じてしまうこともあります。

義務感 (Obligation)の反対は、まっすぐに考えると自発的 (Voluntary)・自律 (Autonomy) ということなのですが、いま考えたいテーマ自身が「なぜ人は自発的に荷を負うのか?」です。そこで少しひねって期待 (Expectation) としました。それ自身に喜びがなくても、そして義務感を感じなくても、人は期待があれば自発的に行動します。スポーツ選手が苦しい練習を自らに課すのは、自らの成長への期待があってこそでしょう。

罪悪感 (Guilt) は、それをしないでおくことが何かに対する罪であるという感覚です。この反対は、それをすることが善であるという信念、いってみれば善意 (Goodwill)が妥当そうです。しかし、喜びでも期待でもないすべての自発的行動の源を掬いとるために、さらに広い言葉である意味 (Meaning) を選びました。それをすることに喜びがなくても、期待がなくても、人は自発的に重荷を背負います。それをさせるのは、先述の善意 (Goodwill)であったり、使命 (Mission)であったり、要するに「それをすることに意味がある」という感覚です。

たとえば……毎週書いているこのノートは、FOGでないか。JEMであるか。そんなふうにチェックしてみると、自分がその重荷を背負っている理由をプラスマイナスの両面から見直す機会が得られそうです。