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コンセプトノート

419. べし集とべからず集、どちらがよいのか

未来の伴侶をイメージするなら肯定文で

婚活のガイド的な記事を読みました。何しろタイトルが『リスト方式:「それ」を見つけるには』(‘The List Method: How to Find “The One”‘ – Psychology Today)です。リストフリークとしては目を通さざるを得ません。最初の段落で、「それ」が「未来の伴侶」であることに気づきました。対象読者ではなさそうだけれど、まあ乗りかかった船ということで、読んでみました。

記事の著者は、未来の伴侶に求めるものをリストアップせよと言い、具体的なガイドラインを示しています。その中に、面白い部分がありました。簡単に翻訳・引用します:

『(求める要素を)肯定的に表現すること。「タバコを吸わない人」の代わりに「健康に気を配っている人」はどうだろう。肯定的な言葉は、それを引き寄せる。脳は「〜ない」をうまく扱えない。たとえば、白い象のことを考えないように。ほらね?「タバコを吸わない人」と書くことで、あなたはタバコを吸う人を探してしまっているのだ。』

たしかに、言葉に触れた瞬間、その言葉が指し示すものが頭に浮かびます。これがネガティブな効果を生むこともありそうです。たとえば仏教の五戒は、簡単にいえば「殺生・盗み・姦淫・嘘・飲酒をするべからず」ということです。いつもこのリストを携えている人は、これらのことをしないようにしようというかたちで、結局はこれらのことを考えていると言えないでしょうか。

一般に目標を立てるときには肯定文で書くことが推奨されています。わたし自身もそう考えてきました(「【目標設定】書きつつ考える、目標設定の5つのコツ – *ListFreak」 – 『リストのチカラ』)し、最近見つけた自己暗示に関するリストでも、その第一項目は【肯定文で肯定的に】でした(「暗示文章5つのルール」 – *ListFreak)。

実は五戒も、これを肯定文に言い換え(て内容を現代的にし)たバージョンがティク・ナット・ハンによって作られています(5つの気づきの訓練 – *ListFreak)。これはこれですばらしいリストで、わたしがiPhoneの中の名リスト集に入れて持ち歩いているのはこちらの方です。

「戒」の役割は何なのか?

肯定文バンザイと思いつつ、作るリストの目的によっては、むしろ「べからず集」のほうがうまく使えるという実感があるのも、たしかです。べからず集の役割については以前にも「なぜ○戒は「しないことリスト」なのか」で考えたことがあるのですが、冒頭の婚活コラムはこのテーマを再訪するきっかけをくれました。

言葉は、その指し示す内容にわれわれの注意を自動的に向けさせる。であるならば、望ましい状態をダイレクトに描写すべきでしょう。つまり肯定文、べし集を作るべきでしょう。

では、べからず集の存在意義は何か。何かをすべきでないと言ったとたんその何かを思ってしまうという副作用を甘受しつつ、なぜ多くの「○戒」が語り継がれているのか。

おそらく、思うまいとしても浮かんでしまうことに対処するためなのではないでしょうか。

ダニエル・カーネマンは近著”Thinking, Fast and Slow“で、直感的で高速な思考をシステム1、認知的で低速な思考をシステム2と呼びました(参考 “Dual process theory” – Wikipedia)。システム1の思考(というか反応)のゆがみや偏りが、カーネマンが研究してきた人間の「バイアス」です。

たとえば「嘘をつくべからず」の代わりに「正直者でいるべし」と思うことはできます。しかしこのポリシーが真に試される状況は、突然訪れます。上司がいきなり同僚の前で自分のミスを指摘したとしましょう。思わず言いつくろいたくなります。システム1だけに従えば、「思わず」嘘を口にしてしまうところです。

これに対処するには、そもそも自分の感情の微細な動きを捉える訓練が必要ですが、いま嘘をつきたくなってしまったことは知覚できたとしましょう。

このとき、「べし」のリストを参照すると
「正直者でいるべき。だから、嘘はやめよう」となります。
一方、「べからず」のリストに従えば、
「嘘をつくべからず!」となります。

どちらも、そういった思考回路が身に染みこんだ(システム1レベルにまで落ちた)段階では、うまく機能するのかもしれません。しかし、前者(べし)はかなり認知的なプロセスなので、システム2の話です。後者(べからず)も、最初はシステム2でしょう。しかし自分が知覚した状態(嘘をつこうかな)にダイレクトに働きかけているので、訓練によって身に染みこませられる望みは、前者より高いのではないでしょうか。

重要なのはべし/べからずの区別ではなく、短期/長期

そう考えると、われわれがこうありたいと思う目標や判断基準のリストを作るときに重要なのは、べし/べからずの別というよりは、
タイプ1:自分のシステム1にインストールしたいもの
なのか、
タイプ2:システム2でじっくり吟味したいもの
なのか、という区別のように思えます。

タイプ1は、考えるためのリストではなく、問答無用で従うためのリストです。それだけに、どんな項目を選び、どんな言葉で表現するかは、事前によく考え、またメンテナンスしていく必要があります。タイプ1の典型は「○戒」、つまりべからず集ですが、「○訓」のようにべしとべからずが混在しているものもあります。いずれにせよ、最終的には丸覚えできる量でなければなりません。

タイプ2は、考える目的によって条件のリストであったり問いのリストであったりするでしょう。われわれが作る多くのリストはこちらですが、使い込んだいくつかのリストはタイプ1に昇華していくことでしょう。