カテゴリー
コンセプトノート

135. 「後世への最大遺物」を受け取るのは

内村鑑三の『後世への最大遺物』という名著があります(青空文庫などで無償で読むことができます)。

一人ひとりが後世に遺せるものは何か。それを正面切って考えた講演録で、これを座右の書にしている方も多いと聞きます。

彼はなぜこのようなテーマを考えたのかをこう語っています。

私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない、との希望が起ってくる。

美しい自然や楽しい社会の永続は前提となっていて、それらへの恩返しとして何か付加価値を遺していこうという発想です。つまり、内村鑑三は遺すべき後世があるかないかという心配はしていません。

しかし、現代の我々が日頃考えていることは少なからず「遺すべき後世がちゃんとあるのだろうか」というレベルだったりして、下手をすると「後世こそ後世への最大遺物」ということになりかねません。

そういう観点で、「後世」とはいったい何かを考えてみると、まず「人」がいます。我が子がいようがいまいが、我々の遺す何かを受け取ってくれる「人」がいてくれないと、我々の生きがいもない。
次は、その人が住む「地球」があります。今のところ引っ越すアテも無いわけですから、これもきれいに引き継がないといけない。
そして後世もまた、その先につないでいこうという意思を持った「社会」であって欲しい。これが実は前提ですね。例えば子どもを産む産まないは、ミクロには個人(夫婦)の選択ですが、社会全体としてみれば、新陳代謝がなければ人類は数十年で絶滅するわけです。

書いてみると当たり前のことですし、内村鑑三より後戻りしたような気がしなくもないですが、当たり前のことをやりきらないと後世がない。何をやっても引き継ぐ相手がいないとなると……なんとも空しい話になってしまいます。