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コンセプトノート

353. 「好きなことで飯を食う」のいろいろ

合理的だが、コミットしきれない選択

今週、キャリアチェンジをお考えのAさんと話をしました。Aさんは専門性の高い職務(「士」がつくような仕事)を希望され、勉強を続けています。しかし、ご自分の職業選択の基準がどこかリスク回避的であることに疑問を持たれ、ほんとうにこのまま突き進むべきかどうか迷っておられました。

「リスク回避的」というのは「どこにいても、どんな状況でも、できるだけ食いっぱぐれないこと」を最優先の基準にするということです。

いわゆる就職氷河期世代(ご本人が就職に苦労されたかどうかはお聞きしませんでしたが)でもあり、ゆくゆくは実家のある地方に帰ることを念頭に置いていることも含めて考えれば、これは妥当な基準のように思えます。しかし、ご本人自身がご自分の選択に心の底から納得できているかというと、そうではないご様子。

人間、それが合理的なはずだからという理由だけでは、ひとつの道にコミットし続けることは難しいですよね。よく「知・情・意」といいますが、人をして特定の選択にコミットせしめるのは「知」よりも「意」の声でしょう。

「長く続けて飽きないものって何ですかね」
「楽器はすごく好きで、飽きません。プロの友人も、何かを『持っている』と認めてくれますが、さすがに今さら楽器では飯は食えませんからね(笑)」
「まあでも、楽器で飯を食うイコールミュージシャンってわけでもないですよね、例えば……」

と言って始めた思いつきの話がAさんに受けたので、皆さんにもお裾分けします。

馬を仕事にしたBさんの話

馬が大好きな社会人のBさんという方がいました。もとは競馬好きだったのですが、いつしか馬そのものに興味が移りました。乗馬クラブに通ったり、乗馬のために海外旅行に出かけたり。Bさんは馬の美しさもさることながら、馬が人の心を読むところに引かれていました。馬と触れ合えば触れ合うほど、心を通わせるということの本質が見えてくるような気がします。

「馬を仕事にする」可能性も考えました。しかしすでに社会人として数年を過ごしたBさんにとっては、馬に関わる仕事への転身は非現実的としか思えませんでした。

ところが「うちの上司にも馬を引かせてやりたいよ」と友人に漏らした一言がきっかけで、Bさんの人生は大きく変わります。友人の会社は企業研修を行っており、リーダーシップを学ぶために馬を引いてみるというアイディアに強い興味を持ったのです。友人のアドバイスを受けながら手弁当で研修を設計し、モニターを集めて試験的に実施するところまでこぎ着けました。

結果は上々です。Bさんは友人の会社に移って「馬」を題材にした研修の専門家として業界に知られる存在となりました。Bさんはジョッキーでも調教師でもありませんが、馬を仕事にしたといっていいでしょう。

……というのが、その場ででっち上げた話です。書きながらまた脚色しました。たまたま前日に「馬と学ぶリーダーシップ研修」という研修を見かけたので、こんな経緯もありえるかも、と思いながらした作り話です。

Aさんは「そうはいっても、自分の専門と楽器とは結びつきませんよ」と短絡的にダメを出さず、作り話の含意を汲んでくださいました。ミュージシャンになることだけが「楽器で飯を食う」ことではないはず。

そもそもAさんは『クリエイティブ・チョイス』を読んでコンタクトしてくださいました。クリチョイでは、創造的な選択は「我がこと」でなければできない、と書きました。

もしかしたら、Aさんの仕事と楽器は、ダイレクトには結びつかないかもしれません。仕事と結びつくのは、音楽、あるいは「楽器の楽しさ」「音楽が人にもたらす何か」かもしれません。

それが何であれ、自分の仕事に「意」の声を反映背させていくのは、ご本人しかできないことです。それを十分承知されていたAさんに、どんな道でも自分の道にしていきそうな頼もしさを覚えました。