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コンセプトノート

337. 「問われている」という感覚

NHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」に、サッカーの三浦知良選手(43歳)が登場しました。Jリーグの創立期からスター選手として活躍し続けた「キング・カズ」ですが、1998年のワールドカップ日本代表に落選してしまいます。当時31歳。

彼はそのときのことを振り返って、このように語っていました。字幕をそのまま書き写したものを引用します。

あそこからがサッカーの
人生の始まりだったかもしれないね

そこまではもしかしたら、本当にこう

こう言ってはなんですけど
余興だったのかなっていうね

あそこから本当にこう
「じぶんがどうなるか」っていう

サッカーの神様が与えたものじゃないの

「お前はここから、どうやって
サッカー選手としてやっていくんだ」っていうね

そんなような気がしますね

サッカーの神様がいるなら

第141回スペシャル 三浦知良(2010年3月23日放送) | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀)

15歳で単身ブラジルに渡り、Jリーグを牽引し、日本代表として活躍した、客観的に見れば選手としての全盛期に「余興」というラベルを貼ってのけた。これにまずびっくりしました。

さらに印象的だったのは、それに続く「お前はここから、どうやってサッカー選手としてやっていくんだ」という問いかけ。第二次世界大戦でナチス強制収容所に送られながら生還した心理学者のヴィクトール・フランクルを思い出させる言葉でした。

フランクルは、収容所の中で発見した「生き延びる見込みなど皆無のときに私たちを絶望から踏みとどまらせる、唯一の考え」をこのように語っています。

ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ
ミニ書評・リンク集 – 夜と霧 新版 – 起-動線

奇しくも、このときのフランクルはカズとほぼ同じ30歳(ちなみに、これを書いている3/26はフランクルの誕生日です)。

率直に言って、フランクルのいう「人生に問われている」という感覚は、わたしにはよく分かりません。しかし彼のこの言明が多くの人を救ってきたのは事実でしょう。そして稀代のスター選手がキャリアのどん底で発見したのも「問われている」という感覚でした(カズがフランクルを読んでいたのならきっと言及していたでしょうから、独自にそういった感覚に出合ったのだと思います)。

おそらくは非常に「強い」考え方なのでしょう。ネガティブな状態において自分を支えるためだけでなく、平時において自分を持ち上げるために役立つかもしれません。あるいは仕事や人生における重大な意志決定に際して、重要な問いになるかもしれません。さらに調べたり考えたりしてみたいと思います。