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コンセプトノート

044. 「方法論」という罠(わな)

先日田坂広志さんとお話しする機会を得たときのこと。

起-動線の取り組みを聞いて田坂さんがいくつかご指摘になったポイントのひとつに、
「意志決定の方法論を提供します、というメッセージの功罪」
があります。これはどういうことか。(例によってわたしが聞いて学んだことをメモしておきます。もし田坂さんの意図を全て汲んでいないとしたら、その責はわたしにあります)

意志を定める、というのは極めて個人的な作業です。

それは時には非常に苦しいプロセスなので、もし「私が正解を教えてあげましょう」と誰かに言われたら、振り向かないではいられないほどです。

そして教えてもらったとおりにやってみる。うまくしたもので、結果がどうあれ「ホラ言ったとおり、上手く行ったでしょう」というこじつけのロジックがちゃんと用意されていたりする。こうして徐々に意志を定める、つまり生きるということそのものを他人に依存しはじめてしまう。

これは洗脳です。ここまで極端でなくても、ひとの人生観に関わるような事柄であればあるほど、こういった「他人への依存欲」を巧みに突くことで、多くの支持を集めることが出来てしまいます。

田坂さんが「意志決定の方法論」という単語から教えてくださったのは、このような危うさだったと思います。もし起-動線が「こうやって考えれば必ず正しい決断ができますよ」というようなメッセージのもと、何かのマニュアルを売るようにツールを売っているのだとしたら、それは危ういことだと。表面的には喜ばれるかもしれないが、「自立の志」を助けることにはならないと。

幸いにも、起-動線はその点に関しては潔癖なほど目配りができていました。「自分ナビ」作成プログラムは徹底的に自分で考え、自分の言葉で書くプログラムです。そこには「あなたは○タイプ」式の類別化クイズも、「あなたの○○度チェック」式の採点クイズも、他者によって何かが示唆されるようなものはありません。

「意志決定のフレームワーク」として起-動線が提案しているのは、「何を」「どうやって」考えていけば後悔の無い意志決定ができるかという考え方の枠組みです。

しばしば会員から指摘されるように、これは極めてロジカルなプロセスであり、自分ナビによって意志決定へのシナリオを組み上げる作業と、実際に行動を起こす部分には、なおギャップがあります。そのギャップを(例えば世話人のオススメ、みたいな方法で)安直に埋めてしまっては、意味が無い。

ここを堅持しながら、同時に事業としてどう盛り上げていくのか。依存心を煽ることなく自立の志のある人間のネットワークをどう作っていくのか。その場では答えの出ない問いでした。

※ 「自分ナビ」作成プログラムは提供を終了しています