ミニレビュー
「訳者あとがき」で訳者の片岡しのぶさんが簡潔で素晴らしい要約をされています。
引用:
クリーヴランドの貧しい人たちの住む一角に、空き地がありました。そこには、生ゴミから、古タイヤ、壊れた椅子まで、ありとあらゆる種類の廃棄物が捨てられていました。
ある年の春、ひとりの女の子がここにマメを蒔きます。そのあと、ひとり、またひとりと、年齢、人種、境遇の異なる人たちが種を蒔き、畑をつくるようになります。
この人たちは、申し合わせて、あるいは高邁な精神によって畑作りに取りかかったわけではありません。それぞれ自分だけの理由で、種を蒔くことを思いついたのです。
けれども、やがてゴミは消え、そこにみずみずしい菜園が出現します。菜園づくりにかかわった人たち ―― 見ているだけだった人もふくめて ―― は、それまで考えもしなかったことを考えました。そして菜園ができていく過程でちょうど蔓植物が蔓をのばすように、人びとの間に連帯感が生まれ、気がついてみるとこの人たちは「仲間」になっていました。ナスビやカボチャも実りましたが、収穫はそれだけではなかったのです。
…ちょっと読みたくなるでしょう。
ゴミ捨て場にもなれば菜園にもなる、街なかの空き地。
ネットというものもそういう性質を備えているように思います。
共有地をめぐる話ということで「コモンズの悲劇」を思い出される方もあるかもしれません。実際に読んでみると何らかのメッセージがあるわけでは無くて、「ただそういうことが起きた」というだけです。
説教じみた寓話よりは、こういう作りの方が、自分なりに教訓を引き出す余地があって好きです。