- タイトル:もっといい会社、もっといい人生―新しい資本主義社会のかたち
- 著者:チャールズ ハンディ(著)、Handy,Charles(原著)、健一, 埴岡(翻訳)
- 出版社:河出書房新社
- 出版日:1998-11-01
ミニレビュー
タイトルは安手のキャリア本のようです。しかし実際はとても幅と深さのある本でした。
第1部「きしむ資本主義」では、市場経済の限界を分かりやすく説明しながら一人ひとりが「哲学」を持つ必要があることを語ります。
市場経済と効率には、欠点がある。だが(略)資本主義の予想外の欠点を直そうとして、資本主義自体まで失ってしまってはならない。(略)もし、市場や効率への信頼を失ってしまうのであれば、それはただ、多くの人々がいま感じている精神的貧しさを、物質的貧しさに置き換えるだけのことに過ぎなくなるだろう。
資本主義は、政府が制御するには荒々しすぎる。そうしたければ、自分たちでやるしかない。市場に踊らされるのでなく、市場を支配するには、多くの個人の集合的な意志が必要だろう。それを実現するには、各人が、「自分は何者か」「なぜ存在しているのか」「人生に何を望んでいるのか」といったことを明確に認識していなくてはならない。残念ながら、これは「言うはやすし、行なうは難し」だ。だが、自分たちの人生と社会を制御したいなら、そうすることが決定的に重要になる。
第2部「人生の意味を位置づけ直す」―量的にも一番多く、またこの本の特徴を際立たせている部でもあります― では、第1部を受けて個人が自分の目的を考えることの重要性を更に詳細に説いていきます。
過去三十年間、大きな社会的革命が起こっており、私たちはまだその渦中にいる。いったん選択をすると、かなりの部分がお膳立てされてしまうような人生から、自分たちが、自分自身の運命について責任をもたざるをえないような世界への転換なのだ。(略)これを、やる気を出させる自由と受け止める人もいる。だれかが書いた役を演ずるのではなく、自分が人生の台本を書くことができるのだ。一方で、これを恐るべき不安定さととらえる人もいる。
キーワードは「適正な自己中心性」。著者は、個人が「適正に」自己中心的であることが『政府が制御するには荒々しすぎる』資本主義を修正しながら活かしていくことになると考えています。
なぜそうなるのか。「適正な自己中心性」は他人との関わりを通してこそ追求できるものだから、です。
適性に自己中心的であることは、最終的には、自己を越えたもっと大きな目的を見出すことによって、自分自身を最大限に活用するという責任を受け入れることだ。
ここまでの話って、「これからは自分で選択をしていける(いかざるを得ない)時代。だからありたい自分を知り・伸ばし、社会に活かしていこう」という起-動線の理屈そのものなんですね。しかもそれが社会を変えていく力の源であるという考察につながっていく。2年前、起-動線の基礎の部分のメッセージを作っているときにこの本に出会っていたら萎えてしまっていたかもしれません。
資本主義の中核にある個人主義がこの種の適正な自己中心性として定義し直されるならば、社会も現在のように他人の損で自分が得をする”隣人窮乏化”を競う世の中ではなく、もっと住みよい場所になるだろう。
長くなってしまったので第3部「よりよき資本主義を求めて」の紹介は割愛しますが、これまでの話を踏まえて会社・教育・政府はこれからどうあるべきかという提案がなされています。
図書館で借りてきて読みました。しかし先ほどAmazonで買い直してしまいました。1998年の本なのにメッセージは全く古びていません。著者のチャールズ・ハンディは本の紹介文によると「しばしば英国のピーター・ドラッカーと称される」とあります。常に本質へと遡って考えようとする姿勢がそういう評判を呼ぶのかもしれません。この人の他の著作も読んでみたくなりました。