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べてるの家の「非」援助論―そのままでいいと思えるための25章


ミニレビュー

「専門性から降りて始まる「プロ」への道」というノートを書いたときに、「べてるの家」という言葉を見かけました。それからしばらくしてhatasanさんからご紹介いただいたのがこの本です。

「べてるの家」は北海道浦河町にあるグループホームで、精神障害のある人びとが共同生活を送っています。この本はそこでの暮らしの「自作のドキュメンタリー」という感じ。

大迫力と笑いの24章に続く最終章は「公私混同大歓迎―公私一体のすすめ」という、ちょっとまじめなメッセージでした。この本の大半を執筆しているソーシャルワーカーの向谷地さんが、「専門家という亡霊」について語ります。専門家が専門家であることによって何を失いがちなのかを考えさせてくれるよい文章でしたので引いておきます。

引用:

 

 ワーカーはもちろんスタッフの多くも、じつは一人の人間として、社会人として、「生きる悩み」をかかえている。それは当然のことである。
 しかし、白衣という「権威」がその当然のことに気づかせない。白衣は、「私たちは入院患者と同様に生きることに悩み、ときには無力である」という明白な現実を隠蔽し、不自然なほどの毅然とした態度で職務を遂行することを強いてしまう。
 そして、しだいに自分自身の二面性に疲れていく。精神障害者という「関係の病い」を負った人たちとはいちおう見かけ上では治療的・援助的にかかわりあうことはできても、職場の人間関係には適応できない。じつは職場の人間関係のほうが難しいのだから当然なのに、そのことが認められない。
 このようにして「公」と「私」という二重の基準のなかで、「専門家」は大切な何かを失い、疲弊しつづけているように見える。